新宿区西早稲田の「伊勢屋」も踏ん張っている。高田馬場から早稲田方面へ向かう早稲田通り沿い、深川から暖簾分けされて昭和36年創業。すぐ近くに開運、金運、商売繁盛の御利益をもたらす穴八幡宮があり、やはり江戸期から信仰を集めてきた。「伊勢屋」の外ウィンドウにも草餅、大福、いなり寿司、赤飯などが並び、店内では軽食を出す。以前はカレーやあんみつもあったけれど、少し品数が減ってラーメン、タンメン、焼き飯、チキンライスなど。草餅を頼むと、熱い煎茶がつく。おじいさんと孫が向かい合わせに座っていたり、買い物帰りの主婦が大福をつまんで休憩していたり、私にとって、微笑ましいご近所風景にくわわるのが早稲田での愉しみだ。

 かつてはどの街にも伊勢屋が1軒あったものだけれど、コンビニが出現したあたりから雲行きは怪しくなり、1軒また1軒、時代の波間に沈んでいった。私が長く住む杉並の西荻窪にも、30年ほど前まで間口の広い伊勢屋が繁盛していた。ひとパック200円の赤飯、1個30円のいなり寿司、ひと串50円のみたらしだんご、つくりたてがうれしかった。いま、コンビニでは、どこでも同じ味と形の大福や赤飯のおにぎりを売っているけれど。

 店が消えると、街の風景もぺらりと薄くなる。味だけではなく、風景という日常の自然を失うから、あられもなく動揺するのである。

エッセイスト・平松洋子氏による「失われた味を求めて」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年4月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

2023.04.05(水)
文=平松洋子