かつて当たり前のように存在した「食の風景」が失われていく――。エッセイスト・平松洋子氏による「失われた味を求めて」(「文藝春秋」2023年4月号)の一部を転載します。
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「また終わってしまった」
終わってしまった。
今年1月19日、港区虎ノ門で長く愛された立ち食いそば「峠そば」の扉が閉じた。1月中旬、「最後のごま油の一斗缶を使い切ったら閉店」の告知が出ると、名残を惜しむお客が引きも切らず。私が駆けつけたのは20日昼だったが、ひと足遅かった。
呆然と立ちすくみ、扉に貼られた手書きの挨拶文を読む。閉店の理由は、界隈の地域再開発。汐留、神保町、虎ノ門それぞれの土地で親子二代が「育てて」もらった感謝が綴られ、さらに末尾。
「心残りはいつもお世話戴いてますご常連様が わざわざお越しいただきましてるのに 売り切れで召し上っていただけなかった事で 大変申し訳なく深くお詫び申しあげます お客様の御多幸と御健勝をいつもお祈り申し上げます」
何度も読み返すうち、目尻に涙が溜まってきた。丹精込めた一杯のそばが、都心のどまんなかでどれほど頼りにされてきたか。なのに、店主は、最後の最後までお詫びと感謝を述べるのである。1年後に日本橋近くの茅場町で再出発しますと書き添えてあるのでひとまず安堵したが、雲母のように歳月が層をなす駅の待合室にも似た空間は、戻ってこない。
また終わってしまった。大切な場所を失い、力なくつぶやくことしばしばである。そのたびに唇を噛み、喪失の重みに耐えるのだが、うまくいかない。たくさんの友人知人と共有してきた味や時間に対する欠落感だけでなく、失ったものが大なり小なり自分の血肉を形成している確かさを顧み、うろたえるのである。
「床の間を背負う者」
昨年暮れ、誰にも告げぬまま、55年の歴史を閉じた居酒屋があった。台東区日本堤、労働者の街・山谷近く「大林酒場」。コンクリートの三和土(たたき)、L字型の厚いカウンター、丸椅子だけの簡素な佇まいが偲ばれ、いまだに気持ちの整理がつかない。つねに張り巡らされていた静寂と清潔と緊張。年代ものの木のカウンターで白雪の徳利を傾けながら、私は多くのことを学んだ。言葉にすれば野暮ったくなるけれど、たとえば店とお客との距離感のようなもの。“東京の居酒屋の極北”“最後の昭和の大衆酒場”と呼ばれた「大林酒場」は、存在そのものが社会への通路だった。ぐずぐずだらだらと飲ませない。静かに、きれいに。酔客には決して暖簾をくぐらせない寡黙な高齢の店主の流儀を、お客は社会の教えと受け取っていた。
2023.04.05(水)
文=平松洋子