後藤 本当は毎回緊張してたんですよ。テレビも嫌だったし、ライブももちろん嫌だったし。16歳って、まだ子どもと大人の間ぐらいじゃないですか。ただ、大人たちは盛り上がってる。「番組決まったから。これ出るから」と、大人に言われるがままに出てました。

——お笑いをやることに対して、親御さんはどう思っていたんですか?

後藤 猛反対です。学校も私立の女子高で厳しかったんです。しかも、女の子が水着で出演するコーナーもある番組だったので、出演がバレた時は問題になりました。ただ、「うちの子は脱いでいない」と親が学校側に言ってくれて、仕事を理由に休むことはしないというのを条件に続けることを了承してもらいました。

 でも、それも、自分でやりたくてやってるわけじゃなく、全部大人が、です。こっちは「じゃあ、やらないといけないんだ」みたいな感じで。

 

何が何だか分からなかった

——自分のことなのに、自分じゃないような。

後藤 何が何だか分からなかったですね。

——「こういう芸人になりたい」とか「こういうテレビ番組好きだった」などは?

後藤 ないですね……。でも、ハガキ職人ではあったんです。もともと伊集院(光)さんの番組のリスナーだったので。なので、書くことは好きだった。面白いことを考えるのは好きだったけど、自分が前に出るのはまた別なので、毎回緊張してました。

——小さい頃から周りの人を観察しながら面白いものを探しているタイプだったんですか?

後藤 母が言うには、いつも頭の中がクルクル回ってる子どもだったって。目を閉じたらこっちの世界があるって言ってて、この子はちょっとおかしいんじゃないかと心配だったみたいです。だから、脳波を常に取られてましたね。小5ぐらいまで。

——それは空想するのが好きだったということですか? 

後藤 だと思います。寝る行為がもったいないと思ってた。目を閉じた時から始まるこっちのストーリーが楽しくて、そこで面白いことばっかり考えてました。ラジオを初めて聴いた時に、作られた面白いことがあるって分かって、私も作ってみよう、みたいな。それでいろいろネタを考えていきました。

2023.03.10(金)
文=西澤千央