日常での可笑しさをリアルに描くことで注目される劇団「玉田企画」主宰・玉田真也。自身の戯曲で映画監督デビューを果たした彼が演劇との出会いから、3作目となる監督最新作『そばかす』までのキャリアを振り返る。

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●まったく興味のなかった演劇の世界に

――幼い頃はどんな夢を抱いていたんですか?

 小学生ぐらいのときは、建築家になりたかったです。理由はよく覚えていないのですが、たぶんカッコいい建物が好きだったんだと思います。それで建築家という職業があることを知った感じです。

――どんな学生だったんですか?

 中学のときはバドミントン部に入って、高校のときは帰宅部でした。

――慶應義塾大学に入学後、在学中に演劇サークルに参加されたそうですが、それまで演劇は?

 演劇は学校の課外授業のときに観たことがあるぐらいで、まったく興味がなかったんです。大学でも、新歓のときに同じ語学のクラスだった友だちと飲み会に誘われたのがきっかけで、テニスサークルに入ったぐらいですから。2年のときに、その友だちに勧誘されて、彼が掛け持ちしていた演劇サークルに入り、作品づくりの魅力に惹かれました。しかも、大勢の人とひとつのものを作るということも相乗効果になっていたと思います。

――その後、大学在学中に平田オリザさんの「青年団」の演出部に入団。2012年には、「青年団」に所属したままで自身の劇団「玉田企画」を旗揚げされます。

 留年したことで、サークル内で芝居を作ることができなくなり、まだまだ芝居を続けたいと思っていたときに、「青年団」の演出部募集があったんです。そのときは就職をしたくなかった。どこかモラトリアムの一環だったかもしれません。それで演出部の仕事を学ぶなか、「青年団若手自主企画」に応募し、一定の評価を得ることができたことで、自分の劇団を旗上げできるまでになりました。それが「青年団リンク」(観客から評価を得た集団が劇団から独立して活動できる)です。劇作家の岩井秀人さんも青年団の演出部の先輩です。

2022.12.23(金)
文=くれい響
写真=鈴木七絵