――山岡翔也、小杉川祐一、柴村悟という犯人の少年3人組は、非常にリアリティのあるキャラクターですね。

 さきほども触れましたがこの作品を構想するにあたって、少年法や少年事件に関して書かれた本を20冊以上読みました。その結果、犯人たちには共通性があると感じたんです。実話やモデルケースから犯人の要素を集めて再構成した結果、この3人の人物像が自然にでき上がったといえるかもしれません。ボス格の山岡、口の上手いボンボンでNo.2の小杉川、使いっ走りの柴村というトリオですが、この組み合わせは一種典型的だと思います。小杉川は山岡にうまく取り入る一方で柴村を小馬鹿にしていて、柴村は山岡や小杉川に逆らえないコンプレックスの捌け口をより弱い少女に向けています。強いものが弱いものを虐げていく、という構図です。

――3人の中でも山岡翔也は、最も“獣”に近い、身勝手で過剰に暴力的で非常に度し難い人物として描かれていますね。自分の生活範囲にこんな人間がいたら本当に怖いな、嫌だなと思いながら読んでしまいました。個人的には『代償』の安藤達也に匹敵する気持ち悪さを感じました。

 “獣”をタイトルに取り入れた理由の1つは、未成熟な子供というのは獣に近いところがあるんじゃないか、という発想です。「子供は天使」という言葉がありますが、同時に悪魔でもあると思っています。たぶん、誰にも思い当たることがあると思いますが、子供は残酷だと意識せずにとても残酷なことをする生き物です。

 また、ある登場人物が「少年は可塑性に富む」と言います。しかし可塑性(外力を加えて容易に変形させることができ、力を取り去ってももとに戻らない性質)がある=教育と指導によっては変われる可能性がある、ということは、裏を返せば悪くなる可能性もあるということです。作品中に飼育係の人間を嚙み殺した虎のエピソードが出てきます。あれなども、主張というより問題提起のつもりで書きました。

2022.12.21(水)
文=伊岡 瞬