もちろん、どれも辛い事例です。しかし、当時私自身にちょうど朋美と同世代の娘がいたこともあって、自分が死ぬよりも辛いことは何かと考えたときに、この結論に至りました。
――あっさり捕まった犯人は、15歳の少年3人組です。彼らは少年法の分厚い壁に守られて、大して罪を償うこともなく、まもなく野に放たれますね。少年らが少女を殺害する、という設定にしたのは、なぜなのでしょうか?
最初の構想を立てた2000年当時は、1997年の神戸の少年A事件などを受けて少年法改正に関する議論が巻き起こり、社会的にも少年事件に関心が高まっていた時期でした。作品にも書きましたが改正前の少年法では15歳を刑事裁判にかけることは非常に難しく、被害者遺族が犯人の名前すら知ることができないケースが多かったんです。さらに刑事事件に問えない場合に被害者遺族が民事訴訟を起こすケースがありますが、裁判に勝訴して加害者に賠償請求をしても賠償金が支払われる方が稀なんです。被害者がわが子でその上犯人が少年となると、被害者遺族の苦しみは二重にも三重にもなります。
――たしかに読んでいて被害者遺族である父・滝沢俊彦や母・由紀子、俊彦の兄夫婦や由紀子の実家の竹本家、そして朋美の元担任教師・北原香織たちの苦しみは痛いほどに伝わります。ただ、今作の主たるテーマは少年が犯人である点にはない、とおっしゃっていましたね。
少年法の是非を問うことにももちろん関心はあります。執筆前も書いているあいだも、かなり勉強しました。しかしそれ以上に、タイトルにも織り込んだように「闇」を描きたいという気持ちが強くありました。もともと仮タイトルは「真空の闇」というもので最終的に「白い闇の獣」というタイトルにしましたが、「闇」とはつまり「この世には慈悲も正義もない」ということを象徴しています。それから初稿ではエピグラフに「心の闇」という言葉と、その意味を掲げていました。実は広辞苑で「心の闇」を引くと、「親が子を思って心が迷うこと」という意外な意味が載っているんです。根本には「闇」の中で人間はどのように生きるか、ということを書いてみたかったということがあります。
2022.12.21(水)
文=伊岡 瞬