コミュニケーションを取るうえでユーモアは避けて通れない

――その挑戦を実現できる場を作った制作プロダクションが、スタイルジャムというところにもグッときます。オダギリさんとスタイルジャムといえばもう……。『パビリオン山椒魚』『サッド ヴァケイション』『転々』『たみおのしあわせ』『さくらな人たち』(オダギリの監督作)『悲夢』『南瓜とマヨネーズ』ですよ。

 『THE・ズブズブな関係』ですよね(笑)。

――(笑)。でも僕が最初に本作に対して「おっ、気になる」と感じた部分もそこですし、同じように感じる映画ファンは結構いるんじゃないかと思います。

 いや、それはかなりヤバい見方だと思いますよ(笑)。映画にある種のこだわりを持っている人たちの見方ですね(笑)。

 確かに今回の製作・プロデューサーである甲斐真樹さん(スタイルジャム代表)には昔から作品作りを越えて、お世話になっています。初監督作『さくらな人たち』を作らせてもらったし、そもそも甲斐さんの作品は昔から信用していました。今回も、甲斐さんから「どうしてもやりたいものがあって、若い監督だからちょっと力を貸してほしい」と言われて、喜んで参加させてもらったというのが経緯ではあります。

――オダギリさんとスタイルジャムのコラボレーションを観てきた身としては、本作のように重くなりすぎてしまいそうな作品の中で、遊びや抜け感を体現されている姿こそがスタイルジャム・スピリットのように感じられて。すごくニッチな見方かもしれませんが(笑)。

 そこまでは自分は考えていませんでしたが、確かに甲斐さんには遊びにもよく連れて行ってもらったし(笑)、そういった関係から生まれた作品もあります。そういったことを考えると、僕も知らず知らずにスタイルジャム精神を背負っているのかもしれませんね。

――先ほどオダギリさんがおっしゃった「大人を魅力的に描く」にも通じるかもしれませんが、遊びを入れた作品は年々減ってきていると思います。脚本&演出を手掛けられた『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』のように“遊び”を重視した作品を作り続けられているオダギリさんは、どうお考えですか?

 基本的に人と人がいてコミュニケーションを取るうえでは本来、遊びや笑いといったユーモアは避けて通れないもののはずなんですよ。人間の営みとまで言うと大げさですが、それがなくなっているとしたら、じゃあどんな描き方をしているんだろう?  と逆に「遊びのない作品」に興味を惹かれますけどね。

――作り手からするとコンプライアンスもあるでしょうし、観る側にも本筋から脱線するものを嫌がる方が増えてきたような肌感があって。「重い作品はつらいから見たくない」という意見もよく聞きますし、もっと直接的なものが欲しいのかな、それって楽しいのかな……、とよく悩んでしまいます。

 海外の作品で言うと――例えばゴダールなどフランス映画では、普通の会話のはずなのに、詩のようなセリフを言ったりするじゃないですか。若いときはそれがカッコよくもアートにも見えたし、セリフ一つひとつの言葉選びで作品のセンスが問われたり、観る側も試されていた感がありました。

 それが面白かったし映画を観る楽しみでもあったと思いますが、いまやこれだけ配信で作品があふれてしまって、一つひとつの重みがどんどんなくなっているんじゃないでしょうか。動画配信サービスの、定額でいくらでも作品が観られちゃうとなったら、そりゃあ早送りもしますよね。その環境に慣れすぎると、本来の映画の楽しみ方がわからなくなってもしょうがないのかなという気はします。

 繰り返しになっちゃいますが、どうやって人を笑わせるかってすごく難しい。だからこそ、同じ話題で笑いあえる友だちが大切だし仲良くもなるし、日本語って使い方によってニュアンスや伝わり方が変わる奥深い言語でもあるから、遊びがなくなってしまったらもったいないなと思います。もっと楽しんでものづくりに反映した方がいいんじゃないかとは感じます。

 まぁでも、若い人たちがそういったものから離れていくのはある種の自然の摂理で、僕たちがどうにかできるものでもない。だったら、時代や流れにかかわらず、自分が作りたいものを作るという信念を持っていないとやってられないですよね。

2022.08.10(水)
文=SYO
撮影=平松市聖
ヘアメイク=砂原由弥
スタイリスト=西村哲也