――バラエティータレントだけでやっていくという道は考えなかったのですか?
優木 そうですね。新しいバラエティータレントはどんどん入ってくるので、枠取り合戦に疲れて消耗しちゃうんじゃないかという不安がありました。だから今あるこの知名度を生かしつつ、今後10年間を生きていく道というのを模索しないといけないな、と。やっぱり結婚しても仕事は続けたいと思っていたので。
――結婚して芸能界を引退するという考えはなかったんですね。
収入源は夫婦ふたりともあった方がいい
優木 その考えはまったくなかったです。佐賀の両親はふたりで中華料理屋さんをやっているので共働き。そういうこともあって、収入源は夫婦ふたりともあった方がいいと思っていました。
――どんな家庭環境だったんですか?
優木 お店には常連さんがいつもいて、にぎやかでした。高校や大学受験の時はお店のテレビの前にある椅子に座って勉強していましたね。父は料理人なのにWindows98も出ていない時にパソコンを手作りして、佐賀市のテレビで“パソコン名人”と紹介されたような人(笑)。「ほしいものがないなら作ればいい!」という父の考えは、私も引き継いでいると思います。
誰かが作ったものの中で言われたことをやるよりも、一から自分で何かを作っていった方が思い入れもあって、ワクワクする。ずっと文化祭のノリとも言えるような人生を求めているというか(笑)。
「出産前の自分に戻りたい」心の闇が一番深かった頃
――2013年に美容師の男性とご結婚。34歳で第一子を出産されていますね。人気絶頂のなか、出産してキャリアにブランクができてしまうことに不安はありましたか?
優木 1人目の出産の時は、産後にそこまで体への負担があるとは知らなかったので、産んだらすぐに戻れるって思っていたんです。子どもを預けられる場所と時間さえあれば働けるでしょって。だから出産前にはすでに産後復帰の仕事を入れてしまっていました。でも、実際に産んでみたら寝れない、疲れが取れない、授乳の感覚の調整もしなきゃいけないと、想像以上に大変で……。
2022.07.14(木)
文=「文春オンライン」特集班
撮影=平松市聖