「“あみ子”化」の表現は強くて刺激的で幸せだけど、負荷も大きい

――井浦さん演じる哲郎を拝見した際、怒りなど様々な感情を押し込めて表に出さないようにしている姿が印象的でした。抑えるからこそ、表出する以上にこちらに突き刺さると感じたのですが、井浦さんご自身はどのようなアプローチで臨まれたのでしょう。

 そう感じていただけて、「伝わっているんだな」と思えてうれしいです。哲郎は自己の感情としては本当に様々なことを思っているんですよ。ただ『こちらあみ子』は、観ている人たちが一菜/あみ子の感情をもろに受けていく作品でもある。

 あみ子のような特別な才能を持った子の周りにいる人たち、親やサポートする人々ってすごく大変じゃないですか。言ってしまえば「振り回される」なかで、哲郎の苦悩や子育ての難しさを強く出してしまうと、その感情があみ子の存在を小さいものにしてしまう。それがすごく嫌でした。

 周りが大変な物語を描きたいんじゃなく、あみ子が楽しくて傷ついて苦しくて、それでも純粋無垢に生きて、少しずつ大人になっていく物語にしたい。周りの苦悩をしっかり描きすぎると、物語のダイナミズムは失われてしまうので、哲郎の感情はあくまで“余白”にしたいと思っていました。

 もちろん、僕の中には爆発し続ける感情があるけど、それを観る人たちが好きに受け取れるようにしたくて。「悩んでいる」「苦しい」といった伝わりやすい感情も表現しているけれども、観る人を誘導しないように最小限にしていました。

 こちらが押し付けるのではなく、観る人それぞれが自分の感情を投影できる表現や言動にしたかったんです。どうしたら「内側に溜め込んだ」状態に見えるかを考えて演じました。

――ある種、ご自身の内面に負荷がかかる演じ方かなとも感じました。以前、井浦さんは「戻ってこられなくなるくらい役にのめり込む」と演技について語っていらっしゃいましたが、そのスタンスやアプローチは一貫しているものなのでしょうか。

 20代後半や30代前半は自分自身に(演技の)“カード”がなかったので限られた「自分にできること」で戦っていた部分がありました。でも今は変わっています。

 「のめり込む」のは表現方法としては一番手っ取り早くて、いわば「“あみ子”化」。周りのことを考えてはいるけど、自分のやりたいように自分の世界で生きるのは、一番強い。その強さに身をゆだねるのは、方法としては簡単です。それに、自分以外の人生を生きて、そこから帰ってこられなくなるくらい夢中になれるのは俳優にとって一つの醍醐味だし、刺激的で楽しいことです。

 ただ、「ずっとその状態でいる」ことは難しい。そういうところに才能がある人はずっと“入って”いられるし、帰ってこられない領域まで行けることは俳優として幸せですが、僕はそこに新鮮味を感じられなくなって飽きてしまうんです。

 あとは、やはり「心」を使う仕事ですから、のめり込む方法は負荷がかかりすぎてしまいます。僕はまだまだ色々な表現をしたいから、健康でいるためにも「戻ってこられなくなる」やり方は続けられないんです。

 もちろん、それぐらい夢中になることも時として必要ですし、そうじゃないと乗り越えられない瞬間はたくさんあります。でも後遺症が残ってしまうくらい、熱量で自分を見失うくらい役に没頭すると……面白いぶん、そのあと心を治していくのに時間がかかってしまうんです。

――先日、アメリカでの撮影のオフの際「心もしっかり潤さないとね」とTwitterに投稿されていましたね。

 そうですね。だから「のめり込む」のは出合うべくして出合った作品のときにやってみるような、一つの方法として持っておくという感じです。毎年、毎作品アップデートしていくことは常に意識していますから、前作で演じたやり方は踏襲したくないですし、全く違う人間を表現したい。

 映画/ドラマに限らず、その瞬間に「のめり込む」表現が必要であればやる、というスタンスですね。

2022.07.06(水)
文=SYO
撮影=山元茂樹
ヘアメイク=NEMOTO(HITOME)
スタイリスト=上野健太郎(KEN OFFICE)