「江戸のナチュラリスト」の、自然への好奇心溢れる眼差し
ターニングポイントとなったのは8代将軍徳川吉宗の採った政策だ。おびただしい量の薬物や砂糖などが輸入されていた江戸時代、吉宗はこうした物品を国内で自給するために、全国的な動植物調査や海外産の動植物の調査、薬物や有用品の探索と採取を目的とした採薬使の派遣を行った。これがきっかけとなって、全国的に動植物、鉱物など天産物への関心が高まりを見せる。
そうした流れの中で、「役に立つから」知りたいのではなく、純粋な好奇心・知識欲から天産物に対する関心を膨らませ、調査に東奔西走し、その姿を精魂込めて写し取る人々が現れてきた。学者もいれば、大名も、武士もいる、この「江戸のナチュラリスト」と呼ぶべき人々の動向が、美術の領域へも流れ込み、狩野探幽、尾形光琳、光琳門下の渡辺始興、始興の影響を受けたと言われる円山応挙、喜多川歌麿らが、優れて写実的な動植物の絵画を多数残している。
無論、博物学的な関心だけではなく、長崎からもたらされた中国・南蘋派の花鳥画の影響もあるだろうが、18世紀京都の若冲や応挙、江戸の歌麿らが精細な動物や昆虫の絵を描いた背景には、こうした自然への好奇心溢れる眼差しがあった。
というわけで、やっと「園芸」に辿り着く。吉宗はまた、飛鳥山や品川御殿山、墨堤、小金井堤など、江戸近郊に桜を植樹しているが、これが花見の名所へと発展。当時の新聞、ニュース週刊誌的な役割を果たしていたメディア=多色摺木版画(錦絵)によって、開花の様子が報じられ、桜の下の美しい遊女たちのブロマイドがもてはやされることで、新しい花の名所が周知され、行楽文化が発展していった。
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2013.07.13(土)