「先輩方から、若い時の久美そっくり、と言われるんですよ。私、あんなに生意気だったのかと今になって冷汗が出る…」

 そう言って苦笑いしながら相好を崩すのは、バレーボール女子日本代表監督の中田久美。オリンピックシーズンの今年、新人セッター・籾井あき(20)を選抜した理由を聞くと、真っ先に口にしたのがこんな言葉だった。

 その時に「先輩って誰?」と尋ねなかったが、中田の若い頃を知っている人となると、おそらくモントリオール五輪の金メダリストたちか、ロサンゼルス五輪のメンバーだろう。

 中田は15歳で代表入りし、18歳で出場したロス五輪では銅メダルを獲得。現役時代は「天才セッター」の名をほしいままにしてきた。かつての日本女子バレーの栄光を知るメダリストたちが、その中田に籾井はよく似ているという。 

 そして中田はこうも言った。

「籾井が成長してくれれば日本の組織バレーは60%以上完成する」

 バレーの勝敗はセッター次第と言われる。特に日本のように、海外の強豪勢に比べ平均身長が10cm程度低い場合、身体能力の高さを生かした個人技に頼ることはできす、組織力や戦術の巧みさで戦うしかない。その生命線となるのが司令塔のセッターだ。

 

「日本代表のユニフォームを着ることはないと思っていた」

 女子バレーの歴史を見ても、メダルを獲った五輪には中田や竹下佳江という卓越したセッターがいた。だが、竹下が13年に引退すると日本は組織的なコンビバレーができなくなり、高さとパワーにひれ伏すしかなかった。

 中田体制になった17年以降、毎年のようにセッターが替わったが、中田が求める速いトス回しで複雑なコンビバレーを展開できるセッターが現れなかった。そしてコロナ禍で五輪が1年延びた今シーズン、籾井が彗星のように現れたのだ。

 だが籾井は、ジュニアのころから国際大会を経験しているほかのメンバーと違い、代表のユニフォームを一度も着たことがない。理由は国籍の問題だった。父がペルーとスペインのハーフ、母が日本人とペルーのハーフで国籍はペルーだった。籾井がいう。

2021.08.04(水)
文=吉井妙子