「しんどすぎて不眠」「ずっと吐き気が続いている」乳がん発覚後の壮絶な闘病生活
――パートナーや家族の方の反応はどうでしたか。
橋本 夫は子宮頸がんのときと同じく、ずっと泣いてました(笑)。
息子にも、子宮頸がんと乳がんのことを伝えたんですけど、ちょうど『はたらく細胞』のアニメを見ていていろいろとリンクしやすかったみたいで、教育につながったのは良かったかな(笑)。
――お母さんが子宮と乳房を取ったことを、お子さんは理解している?
橋本 はい。伝えたときは「エーッ!」って驚いてましたけど、まだ当時3歳だったので、「ママが生きているならそれでいいや」という感じでした。
ただ、こんなタイミングもそうそうないので、術後の傷口やドレーン(体内に溜まった液体などを排出するための管)とかも全部見せて、しっかり息子の経験に変えました(笑)。
――小さいお子さんがいる中での闘病は大変だったのでは。
橋本 術後2か月くらいは痛み止めもほとんど効かないような状態で、しんどすぎて不眠になるほどでした。
子どものお世話どころか自分のこともままならない状態で、痛みで右腕は上がらず、何もかも左手でするしかない。傷口に貼っているテープを剥がすだけでも痛みが強くて一大事だし、全身麻酔が切れた後はずっと吐き気が続いているしで、とにかくきつかったです。
「『女性の美しさ』みたいなところが全部崩壊した」右乳房全摘出後に変化した価値観
――乳房の再建もされたということですが、右胸がなくなることに関してどんな思いがありましたか。
橋本 子宮頸がんの時は、それこそ生理がこなくなってはじめて、「あ、子宮取ったんだった」と気づく程度だったんですけど、乳がんになって、女性の象徴である胸がなくなることになった時は、美しくあろうと頑張ってきたことが一気にどうでもよくなったんですよね。
――橋本さんは美容系のお仕事をされていますが、そこが崩壊したような?
橋本 そうそう、「女性の美しさ」みたいなところが全部崩壊した気持ちになって。
ただ、徐々に気持ちの変化があって、乳房再建にあたってシリコンでできた人工製の乳房のサイズを選んだんですけど、サイズが「大きめ」と「小さめ」しかなかったので、「小さめ」を選んだんですね。
