最新作『ブルーボーイ事件』での当事者キャスティングの実践

――なかなか瓦礫がなくならない、という感覚は、それだけ社会の中に引っ掛かることがまだ多くあるということでしょうか。

 そうですね。一当事者として個人的に抱えてきた悩みもありますが、時間が経つにつれ、より社会の側に問題を見出すことが増えてきた気がします。

 『僕らの未来』を国外で上映したとき「あなたの作品はとても主観的だけど、世界に向けて映画を作っていくのであれば、もっと社会的な目線を持った方がいい」と言われたのをよく覚えています。正直、学生の頃はその意味がよくわからなかったけれど、社会に出てから、ああそういうことだったんだと実感していきました。

 社会の中で障害や要因があるから個人のなかで悩みが生まれてくる、だから個々人を描くためにも俯瞰した視点が大事なんだなと。そこから、より俯瞰した視点でありながらより個人的なストーリーで描くような構造を、意識して作るようになりました。

――『ブルーボーイ事件』は、過去に実際に起きた事件を下敷きにしていることもあり、これまで以上に俯瞰した視点で社会を見つめた作品のように感じます。ご自分でも、これまでとは違うものに挑戦したなという意識はありましたか?

 過去作では基本的に主人公の視点で世界を見渡す構造だったのが、今回は主人公のサチの視点だけでなく、より多様な視点で描いたといえますね。

 取材の仕方が変わったのも大きいかもしれません。着想を得た事件が起きたのは50年以上前。しかも裁判の証人になった方々は当時いろんな差別や中傷に晒されたわけですから、当時を知る方に直接話を聞くのは非常に難しいと痛感しました。

 必然的に、取材方法は当時の週刊誌や書籍、裁判記録を読み込み、残された記録から人々の声を拾い集めていくことになりました。すると不思議なんですが、当時を生きていた性的少数者たちの声が集まり、ある種の「集合意識」みたいなものが現れてきたように感じ始めたんです。

 かつて存在していた無数の声がひとつの像に集約され、サチをはじめとしてこの映画に登場する「ブルーボーイ」たちの存在が形づくられていった、そんな気がしています。

――もうひとつ、『ブルーボーイ事件』の大きな特徴になっているのが、主人公のサチをはじめ、「ブルーボーイ」役に当事者である性的少数者の俳優たちが多く起用されたことです。トランスジェンダーの役は当然トランスジェンダーの俳優が演じるべきだ、というように、ハリウッドなどではいわゆる「当事者キャスティング」と呼ばれる動きが積極的に実践されています。日本でもここ数年でようやく周知されてきましたが、今回の映画では監督自ら当事者キャスティングを提案し、オーディションで俳優たちを選んでいったそうですね。

 実は『僕らの未来』を撮ったときから当事者キャスティングを実践してるんです。当時はそういうキャスティングのあり方を詳しく知っていたわけではなく、もっと実際的な必要性に迫られたからですが。

 そもそも学生が作る自主映画なので、出演者を探すといっても仲間には演技経験のある人はほぼいない。そういう状況でシスジェンダーの方が頑張ってトランスジェンダーを演じるのは無理だろう、それなら同じ立場の人を起用し、半ばドキュメンタリーのような形で映画に反映していくのがいいだろうと思ったんです。

 その後、当事者キャスティングというものを詳しく知るようになりましたが、『フタリノセカイ』のときは、まだ実施は早いだろうという意識が明確にありました。というのも、日本の製作現場自体がまだトランスジェンダーの俳優が気持ちよく働ける環境になっていないと感じていたからです。

 そういう状況でキャスティングだけを進めても、結局は当事者たちが傷つき、業界から脱落せざるを得なくなるのではないか。だからまずはあらゆるマイノリティの人々が働きやすくなるよう製作環境を整えていこう、それが自分の考えでした。

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