お風呂に入れない欲求不満が限界点に
当時、彼はエジプトのカイロ大学(※1)に留学をしていたので、カイロのイタリア大使館で結婚式を挙げました。その後、中東のシリアに移動してそこでしばらく暮らし、その次はポルトガル、アメリカといった国々を転々としました。別に旅行が好きなわけではなく、彼が比較文学という、しょっちゅう場所を変えなければならない学術研究をしていたので、そうせざるをえなかったのです。
私たちは無意識のうちに、古代地中海文明が繁栄した地域をあちこち訪れるという顚末(てんまつ)になりました。東はそれこそユーフラテス川までが古代ローマのテリトリーになるわけですが、シリアやヨルダンのような砂漠化した土地を巡っていると、どこもかしこも遺跡にお風呂が残っていることに気がつきました。結婚を機に日本を去り、再び、浴槽のないお風呂の体積と接触できない生活が始まっていたので、改めてお風呂に入りたい、という思いがどんどん募っていました。なので、遺跡に使われていない浴場の跡があると、やり場のない悔しさが込み上げてきました。
なんとかがまんをしていたんですが、お風呂に入れない欲求不満はポルトガルに移り住んだときに臨界点に達しました。ポルトガルの家は築年数が100年、浴槽を置くと床が抜けるので、置かないでくださいと言われていてシャワーしかついていませんでした。仕方がないので、ベビーバスを買ってきてそこにお湯を入れて体育座りで腰までつかり、桶にためたお湯を体にかけるなりして、お湯に接触していました。かけ湯だとお湯との接触面積がシャワーよりは広くなるので、体の温まり方も違うということに気がつきました。
ポルトガルは、私がそれまで暮らしてきた国々の中でも特化して住みやすい場所でした。ちょっと古き良き昭和の時代に似ているというのでしょうか、古いものが人々にリスペクトされ、愛され続けているという空気が心地よかった。大航海時代(※2)の名残で、ブラジルやアフリカ、インドといった旧ポルトガル植民地出身の人々がたくさん住んでいて、私たちも特化した異邦人の扱いを受けているような気持ちになることはそれほどありませんでした。
人々も、家族が昔から懇意にしている八百屋さんを贔屓にするような傾向があり、そういうお店は質素で素朴だけどしっかり経営が続いている。そんな環境での暮らしの中で、私は祖父母と一緒に通っていた銭湯を思い出すようになっていました。それと、それまで見て回ってきた古代ローマ遺跡にあったお風呂の跡というものとどこかで合致したんでしょうね。
