時計と人との蜜月は、はるか昔から始まっていた。7つのマニュファクチュールから、時計との関わりが人生の転機となった、人と時計の物語を紐解いていこう。
0.01秒の贈りもの

運命のように引き合う人と時計の物語がある。パラ競泳選手の富田宇宙さんと通称“ムーンウォッチ”と呼ばれる、オメガの「スピードマスター」だ。
2024年、富田さんがパラ五輪パリ大会で銅メダルを獲得したことは記憶は新しい。しかし、出場への葛藤があったという。
「選手か、パラ競技を広める立場か、自分の立ち位置に悩んでいました。そんな時に、オメガさんからアンバサダーのお話をいただき、出場を決意しました。アンバサダーのオファーが、自分にしかできない役割があると気づくきっかけとなり、背中を押してくれたのです」
宇宙という名前を持ち、高2で障がいが分かるまで、宇宙飛行士になることが目標だった富田さんにとって、ムーンウォッチは憧れの存在だった。片時も離さず身に着けて挑んだパリ大会では見事にメダルを獲得。
「バタフライ競技の記録は、4位とわずか0・01秒差。時の神さまからの贈りもののように思えました」と富田さん。宇宙飛行士を月へ導いた時計は、富田さんを月以上の高みへと連れて行った。

「時計は時間を見るためだけのものではなく、質感や背後のストーリーが自分に誇りを与えてくれる存在。これが、見えない僕が時計を身に着ける理由です」
また、障がいを持つ立場では、装いや持ち物で自分のプレゼンスを示す重要性を痛感することがあるという。そうした意味で、手元のオメガの時計は富田さんのアイデンティティの一つになっている。
「視覚障がいを持つことで経験した様々な困難や壁を通じて、自分を見つめ直し、人とのコミュニケーションを見直す機会を得たと思っています。座右の銘に『一日一生』と言う言葉がありますが、限られた時間を一生懸命生きることの楽しみを知ったと言えるかもしれません」
富田宇宙
1989年熊本県生まれ。2013年パラ競泳を開始。2015年に水泳連盟の強化選手に選出。2021年、東京2020大会でパラ五輪に初出場。銀メダルと銅メダルを獲得。大会後、スペイン・バルセロナの障がい者水泳チームB-Swimで活動。2024年、2度目のパリ大会でも銅メダルを獲得する。2022年からは元来の夢だった宇宙への挑戦も再開し、日本人の視覚障がい者として初の無重力飛行実験を実施するなど、宇宙におけるインクルーシブデザインの推進にも寄与している。

Column
CREA Traveller
文藝春秋が発行するラグジュアリートラベルマガジン「CREA Traveller」の公式サイト。国内外の憧れのデスティネーションの魅力と、ハイクオリティな旅の情報をお届けします。
2025.10.08(水)
Edit & Text=Rica Ogura
CREA Traveller 2025年秋号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。