五〇一号室からは、すぐに応答があった。ちょっと低めの声をした女だった。
『お疲れ様です。今、開けます』
無言でも良いのに、と有馬は思う。そういえば置き配指定でもなかった。つくづく、律儀だ。
自動ドアをくぐる前に壁の掲示板をチェックする。時々、〈フードデリバリーの配達員さんは階段でお願いします〉と書かれていることがあった。ここは、そんなことないらしいのでエレベーターのボタンを押させていただく。降りてくる者も、一緒に乗る者もいない。それでも有馬は開閉のボタンの間に指を置きながら五階へ上った。降りる前に、かご奥の鏡を一瞥し、バッグを背負い直す。
エレベーターを出て左に曲がってすぐの部屋だった。表札は出ておらず、ドアにも飾りの類はない。所帯持ちではなさそうだ、と考えながら有馬はバッグを下ろし、袋を取り出す。カメラ付きのインターフォンを押した。名乗る間も与えてくれずに『はーい』と返事があり、足音がした後にドアが開く。
「あっ」
有馬の口から音が漏れた。石原茉莉。言いかけた。M・I、そうか。
長い髪が煌めきながらすらりと伸びている。中学生の頃から変わっていない。
服装はちょっと、ちぐはぐだ。上半身は薄い水色のカーディガンに無地の薄手のシャツ、どちらもノーブランドのようだが生地はしっかりしている。対し、ボトムスは、灰色の緩いスウェット。テレワークか、と有馬は推測する。縁が太い眼鏡も少し野暮ったいが、きっと、普段はコンタクトレンズなのだろう。
久しぶりと言おうとしたところで「すいません、ありがとうございます」と頭を下げられた。有馬の口が閉じる。「早かったですね」と愛想に満ちた声で追撃された。
「いえ」
弱々しく差し出した袋を、力強く受け取られる。茉莉は「ありがとうございましたー」と語尾を伸ばし、もう一度、頭を下げた。文句のつけようがない笑顔を浮かべていた。有馬が礼をすると、ドアはゆっくりと閉まる。音をたてないように気をつけてくれたのだろう。
2025.06.24(火)