一歩下がると、バッグが踵に当たった。我に返って背負いなおしてエレベーターの前まで戻る。さっき有馬が上げてから誰も使っていなかったらしい、ドアは即座に開いた。

 鏡と、向かい合う。

 ちゃんとセットしていない黒髪に、しばらくサロンに行っていない眉。カラーコンタクトは入れていないし、メイクもしていない。Tシャツにジーンズ、どちらも安物。中学生の頃の自分に、かなり近い姿だと感じた。数か月前までとは大違い、かなり素の状態だ。大体、スマートフォンにはウーバーイーツに登録している顔写真と、Yumaという名前だって表示されていたし、いるはずだ。

 それなのに。

 苦笑しながらエレベーターを降りる。何年も会っていない中学時代の同級生なんて、そんなものだろう。

 スマートフォンが振動するのを感じ、慌てて取り出す。ウーバーイーツのアプリケーションからだ。今回の依頼の評価はGOOD。チップも百円もらえました。理想的なくらいにちゃんとしている、お客様だ。

 首を振る。

 エントランスを出たところでスマートフォンがもう一度ふるえた。今度はLINEの通知だった。お馴染みのアイコンが画面に映っている。首に手を当てたポーズで、遠くへ目線を送っている綺麗な金髪の男。ケースケさんだ。

 ホスト用のアカウントである。ケースケさんが他に持っているのかどうかは知らない。有馬は、ホストとして使っていたものとは別、昔から持っていた方のスマートフォンとアカウントだが。

〈三百万の調子はどう?〉

 有馬は無表情のまま〈すいません、全然っす〉と返事を打つ。

〈そうか〉

 そのあと、何も来ない。有馬の方で耐えきれなくなった。

〈この間の話、ちょっと聞かせてもらってもいいですか?〉

 すぐに〈本気?〉と返ってくる。

 有馬はスマートフォンの画面の上で、数秒、指を泳がせた。

 唾を呑み込む。

 振り返って、マンションを見上げた。五階の辺りを睨んだつもりだったが、なんだか酷く高いようで、よく見えない。

2025.06.24(火)