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ほとんど垂直の梯子段をの上り灯台内部へ

 あとで調べてみると、ニシキタイテイは〈二式大艇〉であった。濃い緑色の胴体と翼とに赤い日の丸が描かれた全幅三十八メートルにも及ぶ巨大な飛行艇で、〈空の戦艦〉と呼ばれ、当時は世界最高とも言われる性能を誇っていた。約百七十機が造られたものの、今となっては鹿児島県の鹿屋航空基地にただ一機が現存するのみ、だそうだ。残っているだけで凄い、と思う。

 ちなみに、海軍電波研究所が解体された後、一九五〇年(昭和二十五年)に造られた最初の灯台は、まさにこのレーダーの基礎のすぐそばに立っていた。打ち寄せる波による浸食で大規模な崖崩れがあったため、一九七二年(昭和四十七年)になって少し奥まった今の場所に移されたのだという。

 というわけで、いざ上らん。

 勝浦灯台に続いて、再び海上保安庁・銚子海上保安部の桜川正人さんが灯台内部を案内して下さることとなった。

「これまでの灯台とは違って、階段ではなく梯子になってます」

 螺旋階段を作るだけのスペースもないということかな……と思ったらまさにその通りで、鉄扉を開けるなり、おそろしく急な梯子がそびえ立っていた。両側の手すりをしっかりつかんでは一段一段上がるのだけれど、あんまり急なので膝をうっかり曲げすぎると次の段のカドに脛をぶつける。これが地味に痛い。

 最初のうちはまだ踏面に奥行きがあった梯子段は、てっぺん近くなるとただの鉄の横棒になった。幅もどんどん狭くなる。

 最後は腕の力で身体を引っ張り上げるようにして明るい外へ出た。いきなり吹きつける風に首をすくめたものの、あまりにも素晴らしい眺めに目を奪われる。

 足もとはこんもりとした木々に覆われているので、それほど高くは感じない。それなのに、周囲三百六十度、視界を遮るものが何一つない。観音埼や勝浦に比べると、このあたりは山と海の間に距離があり、平野部がたっぷりと広いのだ。

 青々とした田んぼが広がる中に集落が点在し、二式大艇が不時着したという夷隅川が滔々と海へ流れ込み、そしてその海に向かって左手を見やれば、長く長く九十九里浜が銚子のほうまで伸びているのが全部見て取れる。

 あんまり懐かしくて、思わず桜川さんに言った。

「あの浜を、昔よく馬で走ってました」

「えっ。それは素晴らしい……」

 そう、宝物みたいな思い出だった。

2025.03.20(木)
文=村山由佳
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2025年1・2月号