放浪好きな彼は、高齢になるにつれて旅の道づれが欲しくなったらしい。そこで、仕事を継がせるためではなく、ただ単に自分の暇つぶしのおもちゃにするために新しい養子を連れて来た。
その四人目の養子こそが、はじめであった。
全く相談なく末っ子を連れて来られ、家族一同は仰天したらしいが、はじめがあの屋敷で過ごした記憶はほとんどない。貰われて来た用途に違わず、作助のめちゃくちゃな旅にさんざん付き合わされたからだ。
一番多く付き合わされた場所は、賭場である。
トランプにバカラ、ルーレット、麻雀やら花札やらサイコロやらのルールを、養父の膝の上で、はたまた煙草くさいおっさんの傍らで片っ端から覚えていった。海外と思しきいかにもな賭場やカジノにも連れて行かれた記憶があるし、競馬、競輪、競艇、オートレース、パチンコと、思いつく限り全ての大人の遊びに付き合わされたのだ。
かと思えば、はしゃいだ勢いのまま山に連れて行かれてそのまま置き去りにされたり、泳ぎの訓練だといって湖に突き落とされたりしたこともあった。それで狼狽するはじめを見て腹を抱えて笑う姿には、幼心に殺意を覚えたものである。
これで、長じてまっとうな会社員になれるわけがねえだろうとはじめは主張したい。
その化け物じみた采配から、アンダーグラウンドな付き合いもあったのではないかと噂されていた養父であるが、実際に怪しい所に出入りしていたのは確かだった。幼い頃なのでおぼろげではあるが、どう考えても堅気ではない連中のたむろする場所に行った覚えもあるし、大きくなって日本中を放浪するうちにそういった輩に絡まれる場合もあったから、他でもないはじめ自身が生き証人である。
だからこそ、七年前、本格的に彼が帰って来なくなっても、真剣に心配する者は誰一人としていなかったのだ。
作助を少しでも知っている人間は、「いつかこうなると思っていた」と口を揃えた。とっくの昔に豚のえさになっている気もするし、明日にでもひょっこりと帰ってきそうな気もする、と。
2025.03.14(金)