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「受かるとも、受からないとも言い難い」
京浜東北線に乗って、横浜駅でゾロゾロと人が降りていくのを見送り、多摩川を越えて、東京に足を踏み入れる。品川で山手線に乗り換えると、テレビで聞いたことのある駅名のアナウンスが次々と耳に入ってきた。目黒、恵比寿、渋谷……。一駅停まるごとに「ここがあの!」と気持ちが高鳴り、ドアの向こうのホームの風景を、首を左右に振って見回した。こんなに長く電車に乗ったのは初めてだった。もし大学に行くことになったら、毎日こんなに長い時間をかけて通わなければならないのかと少し不安になったが、そのときはそれよりも新しい土地への高揚感が上回っていた。
30分ほど乗って、目白駅で電車を降りた。通ってきた駅と比べると騒がしさはなく、降りる人もまばらである。こぢんまりとした駅舎を出て身体を右に向けると、短い横断歩道の先にはレンガ造りの古風な門があり、その奥には大きな木が何本も茂っていた。ここが学習院か。厳かな門と、その脇に立っている守衛のおかげか、高校生の私の目には、その門を潜っていく人々がもれなく高貴な人のように映った。今思えば、私はたったそれだけの理由で「この大学に入りたい」と思ったのかもしれない。それから他の大学もいくつか見て回ったが、学習院のあの門と、少し古めかしい校舎より惹かれる大学はなかった。他の私立大学よりも学生数が少ないという点も、なんだか特別なイメージがして魅力的だ。私は公募推薦入試を受けることに決め、ときどき自宅で気まぐれに小論文の参考書を開いてはボーッとキャンパスライフを夢見て過ごした。思い返すと、本当に受かる気があったのか疑わしい不真面目さだったが、家族のなかに「正しい勉強の姿勢」を知るものはだれひとりおらず、私含め全員がなんとなく「受かるとも、受からないとも言い難い」という空気のなかで数か月間生活をしていたような気がする。
危機感も自信もないまま受験当日を迎え、小論文の試験を受けた。テーマは「日本人はなぜ無宗教を自称しているのに、神社にお参りに行ったりクリスマスを祝ったりするのか」というものだった。そんなの知るか、と思いながら、思いつくままに大きな空白を文字で埋めていく。なんども消しゴムで消しては書き直し、終わるころには解答用紙がクシャクシャになっていた。書いてはみたが、自分でもなにを書いているかよくわからない。いける、とも落ちた、とも思わなかった。回収のときチラリと見えた他の受験生たちの答案より自分の書いた量が少ないように見えて、少しだけ不安になった。それから数週間後、高校の体育館でスマホから見た合格者番号のページには、仰々しくもなく、ただひとつの情報として、私の受験番号がちょこんと載っていたのだった。
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伊藤亜和(いとう・あわ)
文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。最新刊は『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)。
Column
伊藤亜和「魔女になりたい」
今最も注目されるフレッシュな文筆家・伊藤亜和さんのエッセイ連載がCREA WEBでスタート。幼い頃から魔女という存在に憧れていた伊藤さんが紡ぐ、都会で才能をふるって生きる“現代の魔女”たちのドラマティックな物語にどうぞご期待ください。
2025.02.04(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香