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大叔父・中村吉右衛門の舞台で鳥肌

――吉右衛門さんの光秀には強烈な思い出があるそうですね。

 歌舞伎座の2階席の一番後ろで観ていたのですが、登場の場面で大叔父が笠から顔を出した瞬間に、比喩ではなくて本当に鳥肌が立ちました。2階席の後ろまで実際に飛び出してきたような迫力でした。

――お話を聞いているだけでも、あの瞬間が甦ります。主君を討ったことで光秀は逆賊の誹りを受け、母・皐月からも妻・操からも責めさいなまれる。それをじっと動かずに受け止めている時間というのは、いろいろな意味で辛いのでしょうね。

 人間としての大きさを表現するためにも動揺を見せずじっとしていなければならず、その状況を維持しながら最大の見せ場でもある“大落とし”つまり母と息子の十次郎を亡くして泣き落とすところまで気持ちを積み上げていくのがものすごく難しいです。

 ただ……。毎日演じているうちに自分でもびっくりするぐらい、自然に気持ちが入って涙が出て来たことがあったんです。自分が意識していないところで湧き出た感情でした。

――演者と観客との間でその思いが共有され、響き合った時に生まれる感動、それこそが演劇の醍醐味。素敵な体験をなさいましたね。

 自分が主君を殺したことから始まる物語の中心にいなければなりませんから、軽い気持ちでは臨めないというのが正直な実感です。もちろん大好きな、憧れの役ですから、それをやらせていただける嬉しさ、楽しさを感じながら勤めてはいますけれども。何というか……。

 出の前はすごく憂鬱になるんです。これからまたあの重圧の中に身を置くのだと思うと気持ちが沈む。沈むんですけれど、だからこそ、久吉と対面してからの幕切れまでを積み上げていけるのかな、とも思います。

――第2部ではその真柴久吉(=豊臣秀吉)としても出演されています。

 久吉は光秀と同格で相対さなければいけない役ですから、そのプレッシャーがあります。出て来ただけでパッと明るくなるような爽やかさ、すっきりした感じが必要とされ、なおかつリーダーとしての風格もなければいけない。短い出番でそれを出さなければいけないので光秀とはまた違った難しさがあります。

――2025年、貴重な体験でのスタートとなりましたね。最後に新年の抱負をお聞かせください。

 目の前のことを一つひとつ、丁寧に取り組んでいくことの積み重ねで一年を過ごしたいと思います。昨年もそのつもりではいたのですが振りかえると結局は突っ走ってしまった印象で、今年もそうなるのかな、という気もしています。もちろんそういう状況であることはありがたいことなので感謝の心を忘れずに、できるだけせかせかせずにいたいと思います。

» 後編 浅草のニューリーダー中村橋之助が「人生で初めて知ったこと」〈浅草で魅了する“ふたりの光秀”〉

新春浅草歌舞伎

2025年1月2日(木)~26日(日)
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/other/play/915

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