この記事の連載

――100歳記念として刊行した『魔女の赤い帽子』ですが、どんなところにこだわられましたか?

藤城 表紙のデザインやタイトルのほかに、本誌連載時よりも影絵を大きく配置してほしいと伝えたね。

 『暮しの手帖』の連載は初代編集長の花森安治さんが「ずっと自分で続けたい」と言っていたけど、1978年に亡くなったでしょ。僕が54歳で、「暮しの手帖を月刊にしよう」という話が出た頃だった。世界のいろんな文化を取り入れた絵を描いて、お母さんたちに紹介しようと考えていた矢先だったから。

 結局、花森さんが亡くなった後は「思い切って、月刊へ」ということはできなくなって、隔月刊になったんだけど。花森さんが担当していたイラストカットを、僕が担当したりしてね。

――花森さんが亡くなった後も藤城先生の『暮しの手帖』での連載は続き、通算41年に及ぶ長い連載となりましたね。

藤城 1979年からは大阪ロイヤルホテルで『暮しの手帖』に掲載した作品をまとめた影絵原画展を毎年開催するようになってね。そのうち東京でも展覧会を始めたり、僕が描いた作品で単行本を出したりもして。

 でも初期のモノクロ作品は撮影が終わったら「フィルムに作品が残っているし、本に載ったからもういいや」って作った影絵をビリビリに破いていたんだよ。そうしたら、「駄目だよ、そんなことは」と花森さんに言われたものだけど。

真に生きていることこそが、創作の源

――藤城さんはウクライナの人々への支援として版画の寄贈や売り上げの一部を寄付するチャリティを行い、また、能登半島地震の被災者にも言葉を寄せていらっしゃいます。今後さらに作っていきたいものや、活動についてお教えください。

藤城 僕は大きなことは思っていない。僕の個性は、真に生きていることが答えだと思うから。人間は、自分が選んで、考えて生まれてきたわけじゃない。何のために生まれてきたのか。自然の中でどう素直に生きて、一時の喜びを感じているか。

 だから作りたいものというのは、自然の風景や人、友達、先生、社会、光や影――。そういうものすべてを大事にして、自分とどういう風につながっているのか。それを考えていれば自然と見つかるんだと思う。けれど、ウクライナ侵攻や東日本大震災、能登半島地震など、戦争や災害のことは決して忘れてはならないと思っています。

 僕はよく「自分の好きなことをしている」と言われるけど、「好きなことをしよう」と考えているわけじゃない。自然の中で自分の感覚や体にどんなものが合っているか。宇宙の中に、どうストレートに素朴に合っているかを考えている。

 「無理をして目立ってやろう」とか、「自分に合ったものは何だろう」と考える必要はない。ごく自然に見つかる。だから、僕も何が好きかと言われるとわからない。自然にこういうのがいいなと出てくるんだ。

 そういうと、「猫はお好きじゃないですか」と言われるんだけど、それも僕の方から犬や猫に積極的に働きかけるよりも、生きものの方からこちらにやってくることがほとんどなんだ。

 今、家で飼っている猫のアビーも、家族で猫を観に行ったときに僕のところへ一直線に駆けてきた。僕は目立たないところに離れて座っていたけど、係の人がアビーを抱えたら、アビーがその人を飛び越えてね。それで僕の膝の上に座ると、僕のお腹をもみ始めたんだよ(笑)。

藤城清治(ふじしろ・せいじ)

1924年東京生まれ。1948年『暮しの手帖』で影絵の連載を開始。1956年には影絵劇『銀河鉄道の夜』にて、国際演劇参加読売児童演劇祭奨励賞、日本ユネスコ協会連盟賞受賞。1983年には絵本『銀河鉄道の夜』がチェコスロバキアの国際絵本原画展BIBの金のりんご賞受賞。2013年には藤城清治美術館那須高原をオープンするなど、精力的な活動を進めている。

別冊 暮しの手帖 100歳おめでとう 影絵作家 藤城清治

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藤城清治 傑作選  魔女の赤い帽子

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2024.12.26(木)
文=ゆきどっぐ
撮影=榎本麻美