実際に出来上がった映画を見てみると、僕がイメージしきれなかった映像表現もたくさんありましたし、何といっても役者の皆さんが、脚本の言葉に血肉を通わせて、一つの物語にしてくれ、幸せな気持ちになりました。
――原作では2040年の設定でしたが、映画では2025年になりました。
平野 新聞連載当時は、亡くなった人をAIで蘇らせる、ということは、読者があまりピンときていませんでした。連載している途中で、美空ひばりさんを蘇らせる、という企画をNHKがやり、初めて「ああそういうこと!」、と。
思っていたよりもテクノロジーの進化が早くて、映画が2025年の設定でも違和感はありませんでしたね。
池松 AIの研究者の方たちが映画を見たあと、「とにかく今年なんだ。来年では遅かったかもしれないし、去年だったら認識が追い付いていなかったかもしれない」と話されていた、と聞きました。映画のほうは現代に寄せてきましたが、あの原作にある、生きることと密接につながった社会として描くには、といった判断でこの設定になったと思います。
ヴァーチャルな「母」との、再会と別れ
――お二人が特に印象に残ったシーンを教えてください。
池松 「母」との再会、そして別れのシーンは、とても印象に残ってますね。ぼく自身、15歳のときに亡くなった大好きだったおじいちゃんと、いまだに脳の中で再会して、対話をしているんです。テクノロジーが、死者との境界線をあまりにも曖昧にしてきていることの怖さと、やっぱり再会して対話できることの喜び――いろいろな複雑な感情がありました。同時代の人たちがまだ誰も到達していないところに、朔也として行ってみて、そこで新しい人間の悲しみを見てしまった、という感覚でした。
平野 いまの再会のシーンは、ぼくもとても印象に残ってます。ちょうど撮影現場へ行ったときに見学した場面なのですが、田中裕子さんがヴァーチャルな人間というものに、一つの新しいチャレンジとして、強い関心をもって演じてくださったことに感動しました。また、VRゴーグルを通して、実体がないのにあるかのように感じてしまう――物哀しさと滑稽さみたいなものを、池松さんのお芝居からリアルに感じられたのも、良かったですね。
2024.11.17(日)
文=「文春文庫」編集部