「話の会」というのは自らが体験したり、見聞きしたりした不思議な話を順に披露するという集まりで、甚助の他に菓子屋・龍野屋の主人・利兵衛、一中節の師匠であるおはん、医者の山田玄沢、儒者の中沢慧風、そして北町奉行所の同心・反町譲之輔が名を連ねている。そこに新たなメンバーとして、清兵衛が加わったのだ。
百物語形式の小説といえば、舞台になる家や座敷が毎回同じであることが普通だが、メンバー持ち回りで会場を用意するのが「話の会」のユニークなところ。第二話の「首ふり地蔵」では、料理茶屋として評判の高い平野屋で会が開かれることになる。「ひとつ灯せ~」「ええい!」という毎回恒例のかけ声に続いて語られたのは、反町が遭遇した風変わりな事件。さらに清兵衛は甚助の口から、うんうんと頷く地蔵にまつわる怪談と、おはんの悲しい過去の物語を聞くことになった。
「どういう訳か怪談を始めると、奇妙なことが起きるよ」。霊感のある甚助のそんな言葉を裏づけるようにやがて怪しいものの気配は、語りの枠をはみ出して、清兵衛の日常にまで忍び寄ってくる。
続く第三話「箱根にて」では、足を痛めた反町の湯治を兼ねて、「話の会」のメンバーは箱根に出かけていく。旅に出ることの少なかった江戸時代の人々の、喜びが伝わってくるようなエピソードだ。そして旅先でのある女性との出会いが、清兵衛の心に強い印象をもたらすことになる。辛い運命に絶望することなく、生き続けることを選んだ尼僧・徳真。その人生に触れたことで、死を恐れていた清兵衛の何かが変わる。
ところが第四話「守」から、物語のトーンは一転不穏なものとなっていく。一人箱根に行くことができなかった龍野屋利兵衛が、旅の土産話への不快感をあらわにし、とりわけ清兵衛に悪意を向けてくるのだ。その背後には魅力的なおはんの存在や、菓子屋の経営がうまくいっていないという微妙な事情も絡んでいる。こうした人間関係の軋轢は、おそらく読者も一度や二度は経験したことがあるのではないだろうか。「悋気(嫉妬)は幾つになってもあるんだね」という清兵衛がもらした一言に、著者の鋭い人間観察がきらりと光っている。
2024.09.01(日)
文=朝宮運河(文芸評論家)