清兵衛をはじめとする「話の会」の面々は、怪談によってこの世の不可思議さに触れ、目には見えない世界が存在しているらしいことを知る。そしてそのことが、死の恐怖を和らげ、自分の運命にあらためて向き合う決意を得る。いわば“終活としての百物語”だ。それは現代を生きる我々にとっても、無視することのできない大きな問題だろう。
ところで本書の参考文献の一冊として、『新耳袋――現代百物語――第六夜』という本が挙げられていることにお気づきだろうか。「新耳袋」は木原浩勝と中山市朗の二人によって著された怪談実話本(一九九八年~二〇〇五年、全十巻)で、著者が体験者から取材した不思議なエピソードが各巻九十九話ずつ収録されている。「現代百物語」とサブタイトルで謳われているとおり、江戸時代に流行した百物語怪談本を現代に復活させたシリーズだ。
「新耳袋」シリーズは刊行当時大きな話題を呼び、怪談や百物語といった日本古来の楽しみにあらためて注目が集まる契機となった。「新耳袋」のヒットはさらなる怪談本や怪談専門誌の登場をうながし、平成期の怪談文芸ブームへと繋がっていく。「新耳袋」シリーズの刊行中に「問題小説」誌上での連載(二〇〇四年~〇六年)がスタートした『ひとつ灯せ』は、宇江佐真理による平成期の怪談再興運動へのレスポンスと見なすことができるかもしれない。
その「新耳袋」シリーズの第六巻(まさに本書の参考文献に挙げられている巻である)の文庫版解説において作家の恩田陸は、怖い話とは誰もが慣れ親しんできた、懐かしい世界であると述べたうえで、その懐かしさをこう分析している。
「その世界はすぐそこにある。誰の後ろにも幼い頃から影のようにぴったりと寄り添い、存在してきた。ずっと心のどこかで知っているのに知らない世界。いつかはそこに足を踏み入れることを予感し望んでいる世界でもあり、知らないことに安堵し、感謝するための世界でもある。こうしてみると『怖い話』は『死』に似ている」
怖い話は死に似ている。ひょっとして宇江佐真理に本書を書かせたのは、この解説の一節だったのではないか。そう妄想してしまいたくなるほど、本書には怪談のもつ不気味さと懐かしさが見事に描き込まれている。本書は名手の手になる優れたエンターテインメントだが、人生の本質に触れるような深さと広がりがある。優れた怪談は人生の実相を映し、忘れかけていた大切なものにあらためて目を向けさせてくれるのである。
本稿の冒頭で、怖い話が苦手な人にもぜひ読んでほしいと書いたのは、このためでもある。今回の再文庫化を機に、清兵衛の終活を描いたこの物語が、あらためて多くの読者に読まれることを願ってやまない。
大江戸怪奇譚 ひとつ灯せ(文春文庫 う 11-25)
定価 902円(税込)
文藝春秋
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2024.09.01(日)
文=朝宮運河(文芸評論家)