こうして「話の会」は物語中盤にして早くも、終わりの気配を漂わせ始める。第五話「炒り豆」では儒者の慧風が夢枕に立つ弟子の姿に怯え、第六話「空き屋敷」では夜な夜な物音がするという怪しい屋敷に「話の会」のメンバーが泊まりこむ。第七話「入り口」では清兵衛たちの見ている前で、反町が神隠しのように消えてしまう。終盤に近づくにつれ、清兵衛にとって怪異はいよいよ身近なものとなり、「話の会」のメンバーが不思議な事件の当事者となることが増えていく。ここが従来の百物語小説と、本書の大きな相違点だろう。
岡本綺堂の『青蛙堂鬼談』に代表される先行例において、百物語はあくまで粋人たちによる遊戯であり、そこで語られる怪談と参加者の間には一線が引かれていた。しかし本書における怪談は、どこかの誰かが体験した絵空事ではなく、清兵衛たちメンバーにとって重たい意味をもつ“自分ごと”なのである。その背後には、哀しみや恨み、寂しさや悔しさなどさまざまな感情が渦を巻いている。「話の会」は回を重ねるごとに苦さを増していくが、それは人の一生が苦いものであるからに他ならない。
さまざまな事件を経て、最終話「長のお別れ」が語られる。タイトルから推察されるとおり、「話の会」の終わりを描いたエピソードだ。物語序盤において死を恐れていた清兵衛が、どんな心の境地に達したのか。それはぜひ本文で確かめていただきたいが、ページを捲るごとに濃くなっていく死の気配と無常観、そして一条の光が差し込むかのような幕切れは、多くの読者にとって忘れがたいものになることだろう。
陰影に富んだ人間ドラマと多彩な怪異が詰まった本書のテーマを、あえて一言でまとめるなら“死を受け入れる”だろうか。アメリカの人気ホラー作家スティーヴン・キングは、ホラーとは死のリハーサルである、ということをしばしば述べている。さまざまな恐怖や苦痛を扱うホラー小説は、やがて訪れる死の恐怖を和らげる効果があるのだと。『ひとつ灯せ』で描かれる百物語にも、それに近い意味合いがある。
2024.09.01(日)
文=朝宮運河(文芸評論家)