大学卒業後は小さな不動産会社に就職したが、入社してからわずか十カ月後に倒産。そこからは再就職もせずに、ギャンブルで食いつなぐような放浪と無頼の日々が始まった。当時の私のライフスタイルは、徹夜麻雀をして朝帰りし、夕方にまたゴソゴソと起き出して雀荘に出掛けていくという、自堕落を絵に描いたようなものだった。

「さすがにこれはまずい」と、三十歳を目前に一念発起。目をつけたのは、各地にぽつぽつと登場し始めていたディスカウントストアだった。心を入れ替えて必死で稼いだ軍資金の八百万円を全て突っ込み、一九七八年、東京・西荻窪にわずか十八坪の小さな雑貨屋「泥棒市場」を開いた。ところが、品物を仕入れてもさっぱり売れず、家賃は月二十万円なのに、売上は一日一万円にも届かなかった。なんとか商売のノウハウをつかみ、満を持して一九八九年にドン・キホーテ一号店を立ち上げるも、開業した年の売上はたった五億円で大赤字。その後も、何度もドン底に突き落とされるような経験をした。

無一文から二兆円企業を作り上げた

 知識も経験も人脈もゼロの私にとって、小売業への挑戦は人生を賭けた“大博打”だった。博打と言ってもほとんど失敗する確率が高く、しくじったらブルーシートに段ボールの生活が待っていた。

 だが、結果だけ見ると私は、無一文から一代で二兆円規模の企業を作り上げた、稀に見るような“大成功経営者”になり得たわけである。しかも、ほとんど一人勝ちだ。ドンキの立ち上げ時、日本全国にディスカウントストアは中小あわせて数万軒あると言われていたが、今生き残っているのはほぼ皆無に近い。当時の業界全体の売上を、ドンキが一社でカバーするほどになった。また、私より能力があって、仕事に熱心で、朝早くから夜遅くまで死ぬほど働く経営者は山のようにいたが、いつしか彼らも姿を消していった。

 それでは、私の成功要因は何だったのか。あれこれと考えているうちに、「運」の存在に思い至るようになったのだ。

2024.07.13(土)