運は自分自身でコントロール可能

 ここで言う「運」は、単なる「ツキがよかった」という類の話ではない。今でも私は自分の身の上話をすると、多くの人から、「安田さんは本当に運が強いですね」などとよく言われる。だが、私自身は特別に運が強いわけではない。災難を招いた「不運」を、「幸運」に変える力が強いのだ。

 私は、人によって運の総量そのものに大差はないと考えている。現実を見れば、明らかに運のいい人とそうでない人はいるだろう。しかし、それは与えられた運をどう使ったかという違いに過ぎない。すなわち、運のいい人とは「運を使い切れる人」であり、運の悪い人は「運を使い切れない人」あるいは「使いこなせない人」だと言える。詳しくは本文で説明するが、運を良くする行為、悪くする行為は必ずある。例えば、不運の時の悪あがき(第二章)や、他罰的な言動(第四章)は、運を著しく落とす要因となる。

 つまり、運は自分自身でコントロール可能なものなのだ。私はこれを「幸運の最大化と不運の最小化」(第二章)と呼んでいる。人生には幸運と不運が交互に訪れる。不運が訪れた時はいかにその不運を最小化するか、幸運が訪れた時はいかにその幸運を最大化するかが問われる。不運の時は下手に動かず、チャンスが巡ってきたら一点突破でがむしゃらに突き進む。こうして私は、人生と仕事において運を使いこなそうとしてきた。

 さらに言えば、個人の「運」を会社組織の「集団運」に転化することで、さらに運を大きくしていくことが可能となる。

 どちらかというと私は、遅咲きの経営者である。ドン・キホーテを立ち上げたのは三十九歳の時だが、そこから十年くらいは、企業として急成長は遂げたものの、内実は四苦八苦の連続だった。PPIHの業績が目を見張るように伸びた(率ではなく額として)のは、私が五十歳を過ぎた頃からである。さらに還暦(六十歳)を越えた二〇一〇年から今に至る間に、その売上と利益額は四倍以上と飛躍的に増えた(三十二頁の別表1参照)。

2024.07.13(土)