2023年の父の日にX(旧Twitter)に投稿された「パパと私」というエッセイが大きな反響を巻き起こし、日本最大の創作コンテスト「創作大賞2023」でメディアワークス文庫賞を受賞。糸井重里さん、ジェーン・スーさん、シソンヌじろうさんといった著名人が絶賛を寄せるなど、新たな書き手として注目を集める伊藤亜和さんの初のエッセイ集『存在の耐えられない愛おしさ』が発売されました。ドラマチックな伊藤亜和ワールドはいかにして作られたのでしょうか?
2chでスレッドを立てたりしていた
――私が伊藤さんの存在を知ったのは、多くの人同様、Xで拡散された「パパと私」です。こんな文章を書く人がいるのだ! と興奮しました。
あの投稿が拡散された時は通知がポンポン鳴って、知り合いからもメールがたくさん来たんですが、記事自体はnoteで1年前ぐらいに公開していたものなので、何で今さら?と戸惑いました。
――伊藤さんが文章を書くようになったのは、いつ頃から?
noteを始めたのが2016年、それまではTwitterで呟く程度で、文章らしい文章は書いていませんでした。ただ、それより前に2chでスレッドを立てたりして、「私がここに居ますよ」ということを発信したいタイプだったと思います。
――「私がここに居ますよ」というのは、いわゆるアイデンティティの証明のような?
そうですね。私はセネガル人の父と日本人の母とのハーフで、外見もいわゆるマイノリティだったので、昔から「黒人って可愛い女いないよね」みたいな偏見にイラついていて。
Twitterをやる前から、そんなことない!って2chで自分の顔を晒したりしてました(笑)。
――ハーフであることは伊藤さんのアイデンティティのひとつではあるけれど、そこだけで自分という人間を語られたくはないという?
そうですね。私は父の国に行ったこともないし、言葉も話せないし、そこを軸に何か訊かれても私には答えられることがない。私が見られたいのはそこじゃないという反発はすごくありました。
だから、セクシーなファッションをあえて避けたり、言葉の使い方にも普通の日本人より執着したり。自分のアイデンティティを意図的に拒絶する形をとっていたら、それがそのまま自分の人格になっていました。
反響を生んだエッセイ「パパと私」
――学生時代について、エッセイでは「いつも集団の外にいた、性格的にも容姿的にも弾かれていた」と書かれています。集団にすんなりなじめるタイプだったら、文章を書く方向には向かっていなかった?
集団になじめた世界線の自分がちょっと想像できないんですけど(笑)、小さい頃から声が小さくて何言ってるかわかんないと言われていたし、誰かと喋ってすぐに通じ合えるような人間だったら文章は書いてなかったと思います。
――伊藤さんを世に知らしめた「パパと私」は「パパと会わなくなって7年経った。死んでしまったわけではない。パパは私が住む家から歩いて1分ほどの場所に住んでいる。でも会わない。喧嘩をしたからだ。」という冒頭から独特のインパクトを放っています。愛がなくなったわけではないけれど一緒にはいられない。家族って誰にとっても程度の差こそあれ、厄介で面倒なものでもあるからこそ、伊藤さん家族のエッセイは「セネガル人で破天荒すぎるパパ」という特殊性を超えて、多くの人の共感を集めたのだと思います。
「パパと私」が多くの人に共感してもらった理由が、私にはいまだによくわかってなかったんですけど、実はみんないろいろあるということですかね。特にお父さんと娘って、誰しも何かしらあると思います。
――家族のことを書くのは抵抗なかった?
私的には大丈夫だったんですが、問題は家族がどう思っているかですよね。今のところは大丈夫だし、パパはまだ書かれていることを気づいてすらいないけど(笑)。
――伊藤さんの「パパ」は書きようによっては「悪人」にもなり得る人だと思うのですが、伊藤さんの淡々とユーモア溢れる語り口が、彼を「憎み切れないろくでなし」として読ませています。ヘヴィで悲しい出来事ほど、ユーモアをもって語りたいという思いはありますか?
昔から可哀想みたいに思われるのが嫌だったというのは、すごくあるし、無神経な発言をして友達にひどいと言われちゃうことが多くて、人よりも傷付くことに鈍感な部分があったから、大半のことは笑い話にできるんだと思います。
普通に生きてるだけでめちゃくちゃ悲しいことはあるんですけど、過ぎてしまえばある意味、自分とは関係ないことになってしまうので。
2024.07.13(土)
文=井口啓子
撮影=榎本麻美