「変わってる」私は「普通」が良かった

 理不尽ではあるが、私が「子どもを望んでいる」と言いさえすれば呪いの言葉は消えてなくなる。

 それに、ずっと望んでいた「普通」の人生を送りたい、つまりマジョリティに分類されたいという夢も、子どもを産めば叶うかもしれない。

 親の離婚、小学生時代の場面緘黙、そのせいでいじめに遭ったこと、中学生時代の不登校、高校時代の友だちグループでの閉塞感、ADHDに起因する仕事の向き不向き、元夫と年ほどで離婚したこと。それから、それから……。

「変わってる」のは悪いことではない。ただ私は「普通」が良かった。多数決なら多数のうちに入れるような、そんな人生や学校生活を望んでいた。

 私はものごころがついた時から、いつ、どこにいても寂しかった。その寂しさは、そういった自分の「変わってる」部分を認識することで深まったのかもしれないし、関係がないのかもしれない。生まれ持った先天的な寂しさだという可能性もある。精神科医やカウンセラーに相談してもわからないままだ。

 寂しさは今もずっと私を苛んでいる。

 子どもを産めば、私はもうマイノリティではなくなり、マジョリティとして「普通の人生」を送れるのではないだろうか。産んだ子どもが私を癒して、成長したら老いた私を守ってくれるのではないだろうか。子どもがいる夫婦というカテゴリーにおさまることができたら、寂しさも消失する可能性がある。

母にはなれないかもしれない―― 産まない女のシスターフッド

定価 1,650円(税込)
旬報社
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2024.07.09(火)
文=若林 理央