日本で生理用ナプキンが使われるようになったのは今から60年前のこと。それ以前、女性たちは一体どのように月経と向き合っていたのか。わずかに残る資料から、悲しい月経の歴史を辿る。
#1 大昔はどうしてた? 不思議だらけの経血処理
生理用品が進化するたび、逆に昔の人は一体どうしていたのか、想像するだに恐ろしい。ただ知りたくても明快な資料がないのが現実。なぜか? 触れてはいけない不吉なものとして封印されてきたから。
平安時代、月経中の女性は祭祀への参加はもちろん、神社の参拝すら許されなかった。月経は“ケガレたもの”だから。従ってその歴史は全編通して女性の尊厳を傷つけるような話ばかり。
例えば平安時代、庶民のナプキンと思われる当て布は、麻の布だった。肌当たりが最悪だったことは明白で、いきなり暗澹たる気持ちになるはず。
#2 平安時代の“けがれぬの” 江戸時代の“お馬”?
現存する日本最古の医学書には、ケガレヌノという月経帯が紹介されているが、江戸時代には“ふんどし型”の月経帯が現れ、馬の前垂れのようだから「お馬」と呼ばれた。
内側にボロ布か紙をあてがったというが、脱脂綿が登場するのは明治以降。今の形のナプキンが登場するのは昭和30年代である。ちなみに遡れば弥生時代は絹の端切れを腟に入れていたとか。
古代エジプトではタンポンのように湿らせた紙を丸めて腟に詰めていたとされ、古代の方がいっそ先進的だったのが興味深い。
#3 想像を絶する「月経小屋」という宿命
最も恐ろしいのは月経中の女性を隔離する「月経小屋」。この慣習は各地に見られ、明治時代まで続いた。
室町時代に伝来したとされる「血盆経」には、“女性は血のケガレにより地獄に落ちる”との教えがあり、生理中の女性に触れると危険と信じられたとか。数日にわたって劣悪な環境に押し込められる恐怖は想像に難くないが、家事から解放され嫁いびりから逃れる時間になったとの見方も。
ただ驚くのは世界にも同じ風習が見られ、ヒンドゥー教の国の一部などでは、今現在も月経小屋で寝泊まりを強いられる地域もあること。
2024.06.02(日)
文=齋藤 薫(美容ジャーナリスト)
写真=釜谷洋史