実は、何より見つめたかったのは、自分の罪の意識というものだったんです。
前田 れいこの「なんで私が罪を感じなきゃいけないんだよ」というセリフがありますね。
三島 はい。身体を傷つけられた場合の傷はわかりやすく、誰もが切り付けた人が悪いと思うのに、心の傷や性の傷は、被害者なのに罪の意識を感じる。
私自身、6歳で何もわからないまま被害に遭ったのに、母に悲しい思いをさせてしまったとか、父を落胆させてしまったとか、私があの道を通らなければよかった、友だちの家に遊びに行かなければよかったと、自分を責めました。同時に、これはバレてはいけないことだという思いも強く持ったんです。
第1章では傷つけられた者を守れなかった後悔の罪の意識、第2章では傷を与えた側の罪の意識、第3章は傷つけられた側の罪の意識、そんなものが朧げながら浮かび上がってきたらいいなと思いました。映画を観てくださった皆様にも罪の意識ってなんだろう、どこから生まれてくるんだろうということを話してもらえたら、と。
「傷ついても、人生は続くんだ」
前田 私は完成したこの映画を観たときに、しっかり何があったかということを冷静に教えてくれるけど、感情はいろいろなものが湧き上がってくると感じたんです。だからいろんなふうに考えられて、観る人によってそれぞれ受け取り方が違うだろうと思いました。
三島 そのように観ていただけて、うれしい。傷は全ての方にあると思いますし、観た人の感じ方、考え方に託すものは大きいです。
前田 私はそのテイストがすごく好きです。ギュッと収斂するものではなく、むしろ解き放たれながら、それぞれの葛藤をサラサラ流し込まれてくる感じです。そのままスタートしてそのまま終わっていくのが心地がよかったです。ずんと重たくなって、ああ苦しかったという終わり方にならない。苦しみを描いているのに不思議ですね。
人それぞれに悩みってあって当たり前だし、いろんなことがあったのも当たり前だし。そういうものだよなっていうところに行き着きました。
2024.02.20(火)
文=こみねあつこ