ACという言葉は、70年代末にアメリカのアルコール依存症治療の現場で「親にアルコール問題がある家庭で育った人」を指す言葉として誕生し、1989年に日本にも広がった。
親にアルコール問題があって成長した人たちが、成人後に特有の生きづらさを抱えるようになる。このことはアメリカでも日本でもほとんど変わらなかった。親のアルコール問題は子どもに大きな影響を与えるのである。
阪神淡路大震災をきっかけに広がった「AC」
日本でACという言葉が広がるきっかけは、1995年の阪神淡路大震災だった。建物や交通機関といった物理的被害だけでなく、災害は人間の心にも大きな被害の爪痕を残すことが、PTSDやトラウマという言葉とともにメディアで報じられた。
「心の傷」というわかりやすい表現は、当時広がりつつあったインターネットで共有されるようになり、多くの人たちが自らの被害を自覚するようになった。災害の被害は、家族(なかでも親)からの被害の自覚へと連動した。このことがACという言葉が一種の流行語のように広がる背景となったのである。
ACに関する著作『「アダルト・チルドレン」完全理解』(1996、三五館)の中で、私はACを次のように定義した。
「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」
アメリカでの定義と異なるのは、アルコール依存症だけでなく、ギャンブルや浮気、DVといった親の問題も含まれる点、そして、客観的な診断名ではなく「自己定義」「自認」がACの基本だとした点である。
ACという言葉の現在までの広がりは、日本独自の定義によるものではないかと思う。
AC女性たちにとっての、言葉にならない「母」
さて、私の母娘関係への関心の原点はACにある。ACのカウンセリングにおいて冒頭のようなエピソードは、決して珍しいものではない。
私が設立した原宿カウンセリングセンターでは、95年から、ACと自認する女性たちのグループカウンセリングを開始した。来談する35歳以上の女性たちが、金曜の夜に実施されるグループに参加した。
2024.01.28(日)
文=信田さよ子