主人公が自分のなすべきことを探して歩いていく道筋が物語の縦糸となっていく。用いられているのは教養小説のプロットだが、社会動乱の時代に舞台が設定されている点に本作の特徴がある。一九〇四年に日露戦争が勃発、その後一九一四年に始まった第一次世界大戦の最中にロマノフ王朝は倒れ、帝政が終了して一九一七年に世界初の社会主義政権が誕生することになる。登志矢は否応なくこの時代の流れに呑み込まれていくのだ。物語の半ば、徴兵された登志矢は前線に送られてドイツ側と闘うことになる。鉄道技師になるはずだった青年は塹壕の中から第一次世界大戦の泥濘を見ることになった。その先に何があるのか。どのような道筋を辿れば、東京でスリーパーとして偽りの人生を送ることになるのか。その関心が物語を強力に牽引していくのである。

 登志矢の運命がよじれているのは、歴史改変が行われているからでもある。一八九一年、日本を訪れていたロシア帝国の皇太子ニコライが警備の巡査に斬りつけられて負傷するという事件が起きた。物語の中では、日本政府が慰撫の意味もこめて、帝国の東シベリア開発に協力を提案し、三万戸の開拓農民を送ったことになっている。その後、前述の通り両国の間では戦争が起きる。開拓農民に加わった小條一家が収容所送りの辛酸を舐めた遠因は、日本によるロシア融和政策なのだ。日露戦争の結果は一家をさらなる苦境へと追い込むことになる。

 もし日本からシベリアへの移民が行われていたら、という歴史改変が物語の根底にある。この着想により、ロシア革命のただなかに主人公を送り込むことが可能となった。一九一七年から始まる動乱は、帝政の旧弊が打破されて新しい時代が到来したというような単純なものではない。覇権を奪い合う闘争や政治的駆け引きが行われ、数知れない裏切りや野合が行われた。その中で辛苦を味わったのは弱い立場の者、一般の人民だったのである。その残酷さを等身大の視線で目撃させるために登志矢という主人公はいる。

2024.01.02(火)
文=杉江 松恋(書評家)