マイケル・ホイやドニー・イェンに認められる

――その才能は、日本でも『Mr.BOO!』シリーズで知られる喜劇王、マイケル・ホイさんに認められ、彼の主演・監督作『マジック・タッチ』(91年)では共同脚本のほか、映画初出演もされます。

 マイケル先生は先月にも飲茶したぐらい、今でも仲良くしてもらっています。そのときも、「知らない若者がスタンダップ・ショーをやるという噂を聞いたから、家族と観に行って、いっぱい拍手して、あの場を盛り上げたんだよ」と言われました(笑)。

 あのとき、マイケル先生が僕を気に入ってくださったことで、いろんな映画に声をかけられるようになりました。『デッドヒート』(95年)ではジャッキー・チェンさんからも声もかかりました。もちろん主役ではないので、当時の自分はたった数秒の出番や芝居量のなか、「他の俳優を喰ってやろう」ということばかり考えていましたが、ムダでしたね(笑)。

――そんななか、ゲイの青年を演じた『ぼくたちはここにいる』(94年)や生活に息苦しさを感じている青年を演じた『沙甸魚殺人事件/Mr. Sardine』(日本未公開・94年)といったデレク・チウ監督作では主演を務められます。

 デレク監督は、かなり前から親友だったんです。気も合うし、文学などの好みや趣味も合うこともあって、何本か一緒に映画を作りました。『沙甸魚殺人事件』に関していえば、彼がやりたいことは分かるけど、残念ながら、それが一般大衆受けする内容ではなかったんですよね。お互い若かったから、「100万人のうち1人だけ分かってくれればいい」程度の気持ちだったし、時代的に早すぎたともいえるし、興収的に惨敗だったのも納得できます。

――また、映画スターとしてブレイク前のドニー・イェンさんとも、オカルトホラー『666魔鬼復活/Satan Returns』(日本未公開・94年)と『ドラゴン危機一髪'97』(97年)で共演されています。

 『666魔鬼復活』のときはプロデューサーのウォン・ジン監督に声をかけられたのですが、そのときに初めて共演したドニーが私を気に入ってくれて、彼が出資して、監督もした『ドラゴン危機一髪'97』に声をかけてくれました。もちろん引き受けましたが、私はそれまでアクション映画に出たこともないし、アクション自体できなかったんですよ。

 でも、マーシャルアーツやカンフーは好きなので、いろいろな訓練を受けて、何とか出演しました。ドニー率いるチームが一丸となって、アクションと一緒に物語を作っていく普通の映画の作り方とはまったく違う体験をしました。彼らが頑張って努力して、映画を完成させるまでを間近で見ていたので、世界的スターになるドニーの片鱗のようなものを覗かせてもらった気もします。

――18年には香港コロシアムで、全26公演に及ぶ単独スタンダップ・ショーを成功させるほどになりますが、98年と00年にはフランシス・ンさんとチョン・ダッミンさんと3人でコメディーショー「鬚根Show」を開催しました。

 私が芸能界に引き込んだダッミンと2人でスタンダップ・ショーもやったとき、一人でやるよりもネタを考えるのが楽だったし、とても楽しかったので、もともと親友だったフランシスを巻き込んだら、もっと楽しいだろうなと思って誘いました。でも、3人だとしっかり意見を共有したり、同意を得ないと、なかなか前に進めないことに気づきました(笑)。結果的には楽しかったのですが、そこに至るまでがとにかく大変でした。

2023.11.15(水)
文=くれい響
撮影=山元茂樹