でも、このような絶望的状況は山岸先生が頭で考えてこしらえたものではないと思う。先生が他人の経験として見聞きし、またおそらく部分的にはみずから味わったことのある「救いのなさ」なのではないかと私は推察している(山岸先生、違っていたらごめんなさい)。
この巻に収められた5編を一つ一つ見て行こう。
最初の『海の魚鱗宮』が典型的な「トラウマ的恐怖譚」である。幼児期の忌まわしい記憶を抑圧することでおのれの罪の意識を麻痺させてきた人の身に、忘れようとしていたことと同じ「怖いこと」が起きる。「抑圧されたものは症状として回帰する」というフロイトの洞見は山岸先生の「怖いマンガ」を読むとしみじみ真理だと思う。
『瑠璃の爪』は嫉妬というもう一つの「恐るべきもの」の物語である。嫉妬というのは完全に不毛な感情であって、そこからは「よきもの」は何一つ生まれない。嫉妬をあらわにすれば、それは嫉妬の主体も、その対象をも深く傷つける。嫉妬を否定すれば、引き受け手を失った妬心は「生霊」となって人を害する。
『源氏物語』では六条御息所の嫉妬が葵上や夕顔を呪殺するのだが、これは六条御息所という高貴な女性が「嫉妬」という筋目の悪い感情を引き受けることを拒絶したことから起きた惨劇である。誰も「製造者責任」を引き受けてくれない嫉妬は「生霊」となってさまよい出て、嫉妬の対象に取り憑く。
『瑠璃の爪』では、模範生であった姉の(本人が認めようとしない)美しく恋多き妹への嫉妬が「生霊」となって、妹を襲ううちに、わが身に戻って来てしまう。
『鬼来迎』は「母親の中にひそむ子どもへの殺意」という山岸マンガの「最も怖いファクター」が軸になった作品である。同種のものとしては『夜叉御前』、『汐の声』があり、父親が娘のトラウマの原因であるという「意外な設定」の作品には『天人唐草』がある。どれもすごく怖い。
子どもは親に依存して生きる他ない。だが、過度に依存すれば親は子どもを負担に感じ、子どもを疎んじるようになる。疎んじられれば子どもはいっそう心細くなり、さらに親に依存するようになる。この悪循環のうちで、子どもの存在は親の心の中にゆっくり「憎悪」を培養し、やがてそれが「殺意」を形成するに至る……。
2023.11.08(水)
文=内田 樹(思想家 神戸女学院大学名誉教授)