僕がアラビア語を日本で教わったイラク人がまさにそうで、政治的な背景からか、素性を絶対に明かさないんですね、スンニー派かシーア派かすら語らない。彼はレッスンをはじめると、もう故郷の食の話ばかりするんです。あれが美味しいこれがすごい、イラクのケバブは他のアラブのケバブとは全然違うとか(笑)。一番よく語っていたのはまさに鯉を背開きにして直火で炙った「マスグーフ」と、水牛の生クリームのような「ゲーマル」でした。
「やっぱり朝ごはんはゲーマル」イラク人の食のナショナリズム
酒井 イラク人は民族対立や宗派対立で国内の分断が多いけれど、食のナショナリズムがすごい。どんな宗派の人も、国外に亡命している人もみんな口を揃えて「やっぱり朝ごはんはゲーマルだよね」と一致団結している。
日本人にとっての白飯のような感覚で、イラク人は朝食としてゲーマルにナツメヤシのシロップをかけて食べるんですね。そして主食にはマスグーフをたっぷり食べる。あるいは米とモルガと呼ばれるシチューを食べるのが、イラク人の食の理想郷。湿地帯の多いイラクは水が豊富なので、アンバル米という香りのいいお米がとれて、南部はお米を使った料理のバリエーションも多い。
高野 湿地帯だと、米粉を熱した粘土板の上に溶いて焼きますね。普通にこれを小麦でやったらナンのようになるところが、米なので、せんべいと団子の中間みたいな料理になって面白い。
酒井 それは食べたことないですね。イラク人は、まるで日本人のようにおこげも大好きなんですよ。街の定食屋さんとかで、「おこげある?」と聞くとシチューに入れてくれるんですが、これがすごく美味しい! 高野さんはイラク料理で何が一番好きでした?
“くさや汁”がもう絶品で(笑)
高野 ゲーマルとかもちろん大好きですが、一番は湿地帯の「マスムータ」。開いた魚を数週間陰干しして発酵させたもので、くさやにそっくりなんです。軽く焼いてから、油たっぷりの汁に玉ねぎや野菜を入れて煮る。臭いからバグダードの人は食べないんですが、このくさや汁がもう絶品で(笑)。
2023.10.15(日)
文=高野秀行、酒井啓子