文明発祥の地に現存する〈謎の巨大湿地帯〉に挑んだ新著『イラク水滸伝』が話題を呼ぶ辺境作家・高野秀行さんと、中東研究の第一人者・酒井啓子さんが、魅惑の中東文化について語り合う特別対談。(全2回の1回目/続きを読む)

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「安否の見極めがつく程度の現地語を知っておくべき」

高野 僕がイラクを一番最初に強く認識したのは、1991年の湾岸戦争のときです。当時テレビで、情勢を掘り下げて解説している酒井先生を何度も見て、すごい先生がいるなと思っていたんですね。イラクに対する興味がかきたてられて、90年代に僕は現地に滞在したいと思ってアラビア語をちょっと勉強してもいたのですが、現実的に長期滞在や留学は難しい時期で、一度は諦めていました。

 ところが2017年に朝日新聞の記事で、イラク南部にアフワールという巨大湿地帯が復活して、水の民が住んでいるというのを読んで、びっくりしたんです。かつて1950年代にイギリスの探検家セシジャーが旅した湿地帯は、フセイン政権時代に完全に失われたはずだった。そんな湿地帯が再び蘇っていることを知り、絶対に行きたいと思って、知り合いの紹介でまずアドバイスを求めにいったのが酒井先生との最初の接点でした。

酒井 そうでしたっけ。アドバイスといっても、大層なことは言えませんでしたけど。イラクや他のアラブ諸国に限らず、どの国でも現地の言葉がわからないと、表向き「ウェルカム」と言いながら、裏では「こいつ金持ってそうだぞ」とこっそり現地語で喋ってるみたいなことがあるじゃないですか。そういう、基本的な安否の見極めがつく程度の現地語は知っておいたほうがいいというお話をしましたね。

高野 「ほんとうにもっともだ」と思いました。いつもは現地語の学習を行うのに、このときは早く行きたくて焦っていたんですね。その言葉を聞いて、1年間しっかりアラビア語を勉強してから出発したんです。

「英語が話せるガイドがいてもその方が倒れたらどうしますか」と先生に言われていたことが、現地で本当に起こってしまって、もう先生は予言者だなと思って本当に感謝した次第です。

2023.10.15(日)
文=高野秀行、酒井啓子