高野 本当にイラクは大変なことが次から次へと起こる場所ですよね。クウェート侵攻の失敗後、湿地帯は反政府組織の拠点となって、政府軍との激戦地になりましたし、その後、フセインが水を堰き止めて湿地帯は壊滅状態に追い込まれました。
アフワールは探求しがいのある秘境であり、イラク現代史のルーツ
酒井 アフワールはイランに一番近いし、クウェートにも近いので、みんなが逃げ隠れする、まさに水滸伝的世界なわけです。高野さんのような探検家と私のような政治研究者がなぜ話が合うかというと、湿地帯がイラクの現代史、政治史にとってすごく重要だという共通点がある。高野さんにとっては探求しがいのある秘境だし、私にとってはイラク現代史のルーツだから。
湿地民は、近代以降一貫して、ものすごく貧しい生活をしてきました。葦でしか家を作れないような浮島に住み、しょっちゅう水浸しになりますし、飼えるのは水牛くらいしかいない。こんな生活は嫌だといって、一部の湿地民は、50~60年代のバグダードの高度経済成長期に、葦の家と水牛を連れてバグダード郊外に移り住むんです。バグダードの堤防の外側はよく水があふれる湿地状態なんですが、そこで彼らが葦の家を建て始めたので、政府は「これはまずい」と考えて、低所得者層向けの住宅を作るようになった。
そんな貧しくも湿地帯から都会に移住してきた彼らは、「成り上がってやるぞ」という意欲が高く、そこから共産党員やイスラム主義者が沢山出てきて、社会の矛盾を全部抱えて社会改革を掲げて政治的にものし上がっていく。それがバグダードの現代史を作り上げていった歴史が面白くて。
イラクのケバブは他のアラブのケバブとは全然違う
高野 すごく興味深いですよね。アフワールでかつて政府軍と戦ってきた人たちに取材すると、コミュニストたちとの親和性が高くレジスタンスを展開したりしていて、中東史の裏側を見る思いでした。
イラク人は、いろいろな事情を抱えて生まれ育った場所を離れたり、それこそ海外に出る人たちも多い。酒井先生の『イラクは食べる』にすごく印象的なフレーズがあって、「海外で居辛い思いをすることで、逆にイラク人としての自覚を強める、ということは、湾岸戦争以来続いている、イラクという国の皮肉な現象だ。かつてどれだけの亡命者たちが、祖国のマスグーフ料理を夢見、水牛の生クリームをたっぷり乗せた朝食に憧れ、黄金のナツメヤシの実を飽きるほど食べたいと、思い続けていたことか」とある。
2023.10.15(日)
文=高野秀行、酒井啓子