でも、センターを経験したあとの選抜総選挙は、相変わらず圏外でした。握手会でも、私の列に並んでくれる人が増えなくて……。さすがに「何がダメだったんだろう?」と落ち込みましたね。
――努力の結果が見えないと落ち込んでしまいますよね。
内田 そしてその頃から少しずつ、「憧れていたアイドル像から、どんどん離れていっているな」と思うようにもなりました。
「そろそろ次の道を考えなきゃな」卒業を考えたきっかけ
――具体的にどういうことでしょうか?
内田 中学生時代は、松浦亜弥さんみたいな、歌って踊れて可愛くて、かっこいいアイドルに憧れていました。でも、その当時の私が向かおうとしていたのは「お笑い担当」というか。
2011年にあるコント番組へ出演したとき、他のメンバーはちゃんとセリフがあるのに、私だけひと言も話さない「岩」役を割り当てられたんです。スタッフが気遣ってくれて、事前にセリフがないことを知らせてくれたんですけど、いざ撮影が始まったら本当になくて。
でも結果的にその役がはまって、ファンの方からは「新しい一面が見られた」とすごく好評でした。ただ、その役をきっかけに「私のアイドルとしての寿命は、そろそろ終わりかもしれない」と考えるようになりました。
――これ以上続けても、ご自身が憧れていたアイドルにはなれないと。
内田 そのときの評価自体は嬉しかったし、アイドルグループにおいては、お笑い担当も重要なポジションです。
ただ、そのまま突き進んでも、私が目指すアイドル像にたどり着くイメージができなかったんですよね。だからポジティブな気持ちで、「そろそろ次の道を考えなきゃな」と思うようになりました。
社長に背中を押されて焼肉屋のオーナーに
――その後、2014年に「焼肉IWA」のオーナーになります。オープンまでの経緯を教えていただけますか。
内田 もうすぐ20歳になるタイミングで事務所の社長と面談があって、そこで「今後やりたいことはある?」と聞かれたんです。その時点では特にやりたいことは決まっていなかったけど、研究生時代から「社長になりたい」とは考えていたから、「お店をやってみたいです」と話しました。
2023.04.30(日)
文=仲 奈々