試行錯誤を経て現在の規模に
新しいことをゼロから立ち上げていくというのはやはり簡単なことではなく、ましてや京都という街の難しさももちろんありました。ただ、私も祐介も京都の人間でなかったからこそ萎縮しすぎずに大胆な発想ができた部分があったとも思いますし、スポンサー探しなどいろいろと試行錯誤を重ねて、なんとなくいいバランスを探りあてていくのに先ずは2〜3年はかかりましたね。
2人とも、イベント運営の経験があったわけではなく、ただのアーティストでありクリエイターなので、フェスティバル自体のしっかりとした先のヴィジョンやプランを持っているわけではありませんでした。先ずは自分たちの思いに向き合って、そこに寄り添ってできることからスタートしていきました。
10年前に今のかたちをイメージできていたかというともちろんそうではなく、しかしながらクリエイティブのクオリティへのこだわりだけは当初からあって、自分たちと共鳴、共感してくれる輪が自然とここまでディベロップしてきた感覚がありますね。
あとは、アーティストたちの価値を我々自身で見つけた上で、そこからコミュニティを構築していくことも大事にしてきました。海外のアーティストとも、日本の若い作家とも橋を繋げていくように、関係性を築きあげてきて、その結実が毎年のフェスティバルというかたちで体現化しています。
やっていていつも心にあるのは、やっぱり人間はひとつ、ということでしょうか。フォトグラファーのコミュニティを軸に、海外の人でも日本の若い人でも自然と繋がっていってくれるんですよね。
そういう繋がりをもっともっと拡げたいという想いもあり、今年から『KYOTOPHONIE』という音楽フェスティバルも新たに立ち上げました。自分にとって音楽も写真と同様に大事な軸であり、これまで培ってきたコミュニティをベースにここ京都で新たな国際的プラットホームとして成長させていき、それを通じてメッセージを発信し続けられるといいなと考えています。
オープンニングパーティで冒頭にお話したサリフ・ケイタがパフォーマンスをしてくれたのですが、その演奏を集まったオーディエンスの皆さんが心から愉しんで音楽に聴き入っている様子を見ていたら、やはり人間はひとつ、というところに帰結していくんだなと、ここでも強く思いました。
KYOTOGRAPHIEを立ち上げて10年間が過ぎて、私自身も次のステージに行く必要があったのかもしれません。音楽とリコネクトする時期なんじゃないかと徐々に思い始めていたところに、パンデミックがあって。いろんな人たちが、いろんなことがパソコンの中だけでやり取りされる世界になってしまって、それがどんどん当たり前になってくるのに違和感があったのです。
2023.05.02(火)
文・撮影=山本憲資