たとえば、さんな場面には必ず不幸がともなっていますよね。誰かが不幸になる展開って物語性を帯びるから、それだけでお話が書けるんですよ。ことにミステリーは書きやすい。でも、読んでいて「作劇上の都合から作者は不幸が三つほしかったかのようだ」と思えてしまうとつまらないんです。作者にその気がなくても不幸を道具のように使った書き方になっていたら、物語が「ただ、そういうもの」になってしまう。倫理に敏感になれないと、小説の建て付けが悪くなると思うんですよ。結果として歪んだ作品ができる。

呉 なるほど。そうですね、たしかに。

◆謎だけつくって書き始める

有栖川 呉さんは胸くそ悪い場面を書くとか言いましたけど、まだ読んでいない人にそんな人なの? と思われないように言っておくと、すごく洗練された書き手なんですよ。本格ミステリーを読んできたというだけあって、狭い意味でのトリック、アリバイをこうつくった、みたいなものも出てくるし、叙述に仕掛けがあったり、ミステリーらしいアイディアがいっぱい入っていたりする。うまいなあ、と思います。でも、あらかじめトリックを考えておいて、どう演出すればきれいに見えるかという書き方ではないらしい。お話が勢いで進んでいく中で必然的にトリックが浮かぶんでしょうね。

呉 うーん。ちゃんと浮かんでいるのかがわからなくて。僕はほぼすべての小説をプロットをつくらずに書いているので、トリックがまずあって、それを生かすために小説を書くという順番にならないんですよね。

 謎が最初にあってほしいとは思っていて、つかみになる謎なり事件なりは用意するんです。でも、最初の事件が起こった段階では何のトリックも考えていないし、真相も考えていないんですよ。なんとかこの物語を面白くしたい。そう思って書いていくと、はい、謎が解けなくなっていくんですね。

 そこでマズいなあ、となるんです。これは解けんぞと。頭をフル回転させるんですけど難しい。これまで二回かな、明日こそ編集さんに電話して「この作品はやめます」と言おうって、夜歩きながら思った記憶がありますね。

2023.05.05(金)