本作を読み終えると、わたしはすぐ何人かの知り合いに連絡し、「あなたもこの本を手にしてページを開いてごらんなさい」と勧めました。もちろん、そうする価値のある作品だったからです。
ほどなくして、女性のNさんと男性のKさんから「読んだよ」と連絡があったので、三人で集まり、「『瞳のなかの幸福』を語り合う会」を開きました。
さて、いざこの稿を書こうとした段になり、わたしはふと考えたのです。一人で下手な言葉を連ねるより、語る会で出た話を要約した方が、よほどまともな解説になるのではないか、と。
というわけで、以下に会の様子を、概略的にではありますが、紹介してみることにします。
N「主人公の心情がとても丁寧に描かれているので、男性が読んだら、『女性はこんなことを考えているのか』とよく分かって面白かったのでは」
K「そう。この主人公がいい。ネットにあふれかえる汚い言葉が嫌で、磨き抜かれた文章の本が好きというところから、センスのある人を想像した」
長岡(以下、長)「彼女はカタログ会社の編集者として設定されている。つまり念入りに推敲や校正をするのが普段の仕事だから、当然、垂れ流し的なネットの文章など受け付けない体質になっているわけだ。逆に見ると、小手鞠さんは主人公をそう設定することで、“感情の一つ一つをきめ細かい言葉で表現していく語り手”を無理なく造形したとも言える」
語り合う会はこんな感じで静かに始まりました。
K「家を買い、猫を拾ってさらにウキウキ状態のところ。楽しそうでよかった」
N「だけど雷ちゃんを飼い始めたあと、トイレはどうしたの? と気になってしまった」
長「それは案外重要な指摘かもしれない。実はこの雷ちゃんは、実在する猫というより、“幸福の象徴”としての側面が強い存在なんだ。だから排泄の描写までは必要ない。というより、それをすると象徴性が薄れてしまって逆効果になる。だから小手鞠さんは敢えて書かなかった」
2023.04.25(火)
文=長岡 弘樹(作家)