THE ALFEEの高見沢俊彦さん(※筆名は髙見澤俊彦)による小説第三弾『特撮家族』が刊行になります。バンドとしてプロデビューをめざす若者の恋と葛藤を描いた『音叉』で小説デビューを果たし、第二作『秘める恋、守る愛』では互いにすれ違う大人の恋愛を描きましたが、『特撮家族』は過去二作とも趣の違う、エンタメ度全開の家族小説になりました。連載中からこの作品を楽しみに読んでいたという大島真寿美さんが、いち早くレビューを寄せてくれました。


 タイトルからして、あやしい。
 「特撮家族」。
 なんなんだ、特撮家族って。特撮しまくっている家族のことか? え? 家族で? 特撮を?
 しかし、そうではなかった。
 怪獣フィギュアを愛でる者はこの家族に複数いるし、特撮映画を撮りたいと思っている者もいるにはいるが、まだ撮ってはいないし、家族全員がそれらの愛好家というわけでもない。
 しかも、物語のスタートは、特撮とはまるで無関係そうに思われる銀行員の長女の一目惚れである。思いっきりほわほわしている。ほんわかした恋愛物語になっていくのかな、と思っていると、しかし、ちがうのだった。まるでちがう。彼女は心のうちで陣太鼓がしょっちゅう鳴っているレキジョ(歴史オタクの女)なのである。それもガチの。ほんわかしそうでほんわかしない。ほんわか恋してるくせに(かなり妄想は激しいが)、すぐにドンドンドンと心の中で陣太鼓を鳴らしてしまうのだった。いやいやいや、陣太鼓って……。挙句、そのまま戦いの火蓋が切られたりもするのだった。いやいやいや、なんなんだ、この人。で、特撮はどこへいった?
 とまあ、かようにへんな小説なのである。

 こんな小説、なかなかないわー、と思いつつ、私はすっかりハマってしまい、連載(「オール讀物」)を、それはもう楽しみにしていたのでした。
 著者である高見沢俊彦さん、という人はむろんテレビや雑誌で拝見したことはある。アルフィーのメンバーの、あの耽美的な人ですよね、と姿形を思い浮かべ、それでよけいに、この小説はますます、あやしい輝きを帯びていったのかもしれない。だって、音楽的でもなければ耽美的でもないこの小説を、なぜ、彼は書いた?
 小説に登場するアイテムがなにしろいちいちへんなチョイスで、怪獣フィギュアもそうだし歴女もそうだが、神田明神、少彦名命すくなひこなのみこと、父ゴースト……。そう、この家族の父は、スタートしてすぐに死んでしまう。特撮″家族″とかいってるのに。あっという間にゴーストになってしまい、その姿は家族全員には見えない。家族のうちの、とある人物一人としか交流しない。うーむ。なんて自由な設定なんだ。だが、そこには(小説内では)、ちゃんとしかるべき理由が存在するのだった。そのルールにまつわるアイテム(?)が、またいちいちおかしい。こくしんとうじゅつしきもく寿じゅみょうげんさい、神力和合……。
 こういうものがわんさか出てくるせいもあるのだろうが、読み心地がなんとも不思議。
 こっちにいくのかなー、と思って読んでいくと、たしかにいく。いくんだけど、でも、角度が微妙に違ってる。そんな感じ。いかない、というより、いくんだけど、いくんだけど、ちょっとだけ思ったようにはならない、という方が読み心地は不思議になるものらしい。そして、楽しい。すこぶる楽しい。安心して読める、のに、安心しきれない、この絶妙なセンスがクセになる。これは狙ってやってもなかなかできないのではないでしょうか(でもなぜか高見沢さんにはそれができてしまうらしい)。
 さて、なぜ、高見沢さんにそれができてしまうのか、ってことですよね。おそらく、彼も、少彦名命と約束しているからなのではないか、と思うのです。生きることを信じて、好きなことを続けて、楽しいと思うことを続けてきたからなのでは? って、いやもう、私まで小説にあてられて、おかしなことをいってますね。だけれども、そこがこの小説のキモのような気もするのです。
 このキュートな神様《少彦名命》が、小説を導いていく。
 我々を幸せな気持ちにさせる。
 だって神様が、好きなことをしろよ、楽しいことを信じろよ、といってくれるのである。その肯定的な、もしくは向日性に満ち満ちたスピリッツがこの小説の通奏低音として流れているから、ろくでもない人物が出てきたり、ろくでもない事件に遭遇したりしても、不快な気持ちが起きない。
 このノリのいい神様は時々踊ったりもするし、ふわふわ浮かんで旗を振ったりもする。と、こう書けばおわかりでしょうが、神様は出てくるけれど、スピリチュアル系の小説では決してありません。
 少彦名命、私には高見沢さんの姿に見えました。見た目というより、中身が。彼の魂というか、彼そのものの権化のような存在として、少彦名命はこの小説に存在しているのかも、なんてことを思ったりしました。小説って、書いた人の魂がだだ漏れになってしまうところがあって、どんなに厳しく律していても、どこかからは必ず漏れだしてしまうものだけれども、でもこんなふうに堂々と漏れるのを良しとしているのが、この小説の稀有けうなところかもしれません。少彦名命は、この小説をべる神。私たち読者は、この少彦名命とともに楽しく遊んでいるような気持ちで小説を読み進み、やがて読み終わると妙に爽やかな気持ちになっているのです。高見沢俊彦、恐るべし。というかなんというか……。
 うーん。
 高見沢俊彦さんってもしかして、中身は、相当へんな人なのかもしれませんね……。

2023.04.19(水)
文=大島 真寿美