K「また実際に作者から聞いたようなことを……。まあ、小説の読み方は人それぞれでいいわけだから、そういう解釈もありか」

 このあたりから議論が活発になっていきました。

K「『道に迷ってしまったときにこそ……』というエッセイで始まった章が、道に迷って不動産屋にたどり着くところで終わるあたりも洒落ている」

長「もっと言うと、その前の第一章ですでに、『自分探しなんて、する必要はありません』で始まり、最後は『気がついたら、私はさっきから、自分を探してばかりいる』で終わっている。こんなふうに、一見するとゆるい雰囲気の小説だけれど、実はとても仕掛けに気を遣って、緊密に注意深く書かれているんだ」

K「そう言われると、義理の妹がかなり唐突に訪ねてくるところ。ここも読み返すと読者への前振りはちゃんとあった。実家とは折り合いが悪い、亭主関白の弟、就きたい職業などについて何も訊かなかった、など。伏線の丁寧な作品なんだ」

長「そのとおり。主人公が猫と出会う過程も用意周到だ。妃斗美が雷ちゃんを見つけるのは第四章の終わりまで待たなければならない。けれど第一章ですでに、さりげなく実家の庭に現れる猫の様子が描かれている」

N「そう言えば、第二章では、撮影で訪れた喫茶店内に猫グッズがあふれていたし」

K「第三章に出てくるムトくんの絵は、猫の視点で描かれたものだったし」

長「そのように“猫の予感”をさりげなく忍び込ませてある。小説技法上の約束ごととしては、ここまで猫のイメージが積み重なったら、もう主人公の前に本物が登場しない方がおかしい。さっき『実はとても緊密に注意深く書かれている』と言ったけれど、それはこのあたりからもよく分かる」

N&K「なるほど」

長「ついでに言うと、妃斗美の実家がうなぎ店であることも一つの伏線だ。犬ほどじゃなくても、猫だって人間よりはるかに嗅覚が鋭い。雷は、妃斗美の皮膚や頭髪の襞に入り込んでいるうなぎの匂い分子を敏感に察知し、ピンポイントで彼女に声をかけたんだ」

2023.04.25(火)
文=長岡 弘樹(作家)