「おじさんになりたい」に怒られた
少し話が変わりますけど、「女」を取り巻くラベルを介した自己開示がこの本の一つの核になった背景には、佐野さんが過去にハラスメントを受けたときの気持ちをFacebookで投稿されていたのを読んだ体験が、無意識に影響している気がするんです。その後Twitterに佐野さん自身が転載して、さらにウェブメディアの記事にもなり、大きな流れが生まれていました。あれは勇気づけられました。
佐野 そのときはそれで正しいと思っていたけど、いま振り返ると、私が「おじさんになりたい」と書いた「おじさん」というのもある種のラベリングなんですよね。あの頃、TwitterのDMや引用リツイートで結構怒られたんです。「おじさんって一括りにして、おじさんになれば楽になるって、おじさんにだっていろいろあるんだよ」と。もちろん私が伝えたかったことの本筋とは違うし、そんな文脈では書いていないんですけど、「おじさん」にカギカッコがついてしまう感じへの反応を見て、それはそれで一つの解釈だよなと思いましたね。
ひらりさ まさに「女というもの」を巡る葛藤があらわれた投稿であり、言葉だったと思います。外形的に女であることをやめるという手段をとって、当時はそれでいいと思ったけど、やっぱりそうではなかったという受け止めも含めて、私は影響を受けているなと、読み返して思いました。
これまでに書いた本は、劇団雌猫名義のものも、個人名義で最初に出した『沼で溺れてみたけれど』も、基本的に他人の話を聞いてまとめたものです。でも佐野さんの投稿や、MeTooを含め、世の中の「女性が自分の話を語っていく」流れを見ているなかで、徹底的に、自分のことを書いてみるという手法をとってみました。
オンエアより先の「開示」は想定外
――ドラマやエッセイなどの作品と作り手の距離感についてはどうでしょうか。『エルピス』の場合は、制作者インタビューを読むと、冤罪のテーマが出てきたきっかけやテレビ局の社内政治の描写などから、浅川恵那や岸本拓朗(眞栄田郷敦)に佐野さんをモデルとして投影する人もいたかもしれないなと。
2023.03.28(火)
文=ひらりさ、佐野亜裕美
撮影=平松市聖/文藝春秋