前提として、私自身がそもそもフィクションを書けないというのはありますが、フェミニズムの話は、フィクションも、実体験に基づく語りもどちらもたくさんあっていいと思っています。「物語になるような取るに足る出来事」ではないことに目を向けていく必要には、実話に基づく語りの方が向いているのかなと感じています。大ヒットした小説『82年生まれ、キム・ジヨン』が、小説でありながら精神科のカルテという形をとったのも、細かい部分を執拗に書いていくにはああいう形にならざるを得なかったのではと思うんですよね。

 今回の本で自己開示をしたのは、ひとつのケーススタディーというか、書き手の自分にとってそれが必要だった側面もある一方で、読者にとっての「叩き台」的なイメージで差し出しているんです。そういう意味で、「辛かったんですね」と私に貼りつけた感想を言われるよりは、『82年生まれ、キム・ジヨン』的な感じで、色々な解釈で読まれるといいなと思っています。だから亜裕美さんが、「エッセイとして」や「実話として」という言葉ではなく、「記録」や「物語」という言葉で本書を評してくださったのがとてもうれしかったんです。ちなみにAmazonだと「人生論」カテゴリに入っています(笑)。

佐野 人生論なんですね(笑)。この本に書かれていることは、りささんの一部だとは思うんですけど、トライアンドエラーをしてきたからこそ見えることや分かること、言えることがあるんだとあらためて感じました。そしてそれを言語化することも開示することも大事だなと。あと、単純にすごく面白いですしね。センシティブな話題も出てくるのでやや乱暴な言い方かもしれませんが、それでも面白いってとても大事なことで。

 りささんがこれまでで最大級の覚悟をもって、アカデミックなものとエッセイの間、中間という意味ではなく、そのはざまで揺らぎながら書かれた戦いの記録は、とても面白いです。

ひらりさ トライアンドエラーの書と言っていただきましたが、最終章で取り上げたロクサーヌ・ゲイというハイチ系アメリカ人のフェミニストによるエッセイ集『バッド・フェミニスト』の趣旨は、あえて自分の正しくない部分を語りながらもフェミニストだと名乗っていこうということだと思っています。私はそれを途中まですごく頑張ってやろうとして、最終的にこの本は「フェミニストをまだ名乗れないんです」という話で終えました。「正しくなくてもフェミニスト」でいいんじゃないかと。

撮影=平松市聖/文藝春秋

2023.03.28(火)
文=ひらりさ、佐野亜裕美
撮影=平松市聖/文藝春秋