最終回に向けて物語が加速する「エルピス —希望、あるいは災い—」。前篇に引き続き、エンディング映像の企画を担当するテレビプロデューサー・上出遼平さんと、脚本家・渡辺あやさんにお話を伺います。後篇はメディアが提供する「わかりやすさ」が人々に何をもたらすのかという話からスタート。さらにドラマのエンディング映像の意図についてなど、より深くドラマの視聴体験ができる内容満載でお届けします。(インタビュー【前篇】を読む)
みんな「自分とは無関係」だと思いたい
――人々がわかりやすさを求めてしまうのには何か理由があるのでしょうか。「エルピス」の中では松本死刑囚に対してメディアが「ロリコン」だという嘘の犯人像をつくり、被害者のひとりに対して「下着を売っていた」とメディアが報じていた描写がありましたが、それも猟奇的な犯罪を起こすのはロリコンという変質者で、被害に合う人間にはそれ相当の何かがあったほうが、みんなが「だからこんな事件が起きたんだ」と納得しやすいからですよね。そしてわかるとみんなは安心するという。
渡辺 佐野さん(本作プロデューサー)から、いくつか事件のルポルタージュを読ませていただいた時にハッとしたのですが、犯罪者にしても被害者にしても、みんな「自分とは関係ない人」だと思いたいらしいんです。たとえば被害者が「普通の女子大生」でも、メディアはあえて「ブランドバックをたくさん持っていた」などと書きたがる傾向がある。それはニュースの視聴者が「自分とは関係のない」贅沢が好きな若い女だったから被害にあったのだ、そうではない自分は大丈夫だと思いたがっているからだと。
――本当はどんな人であれ同じ世界の人間なんですけどね。それでも線を引くことでみんな勝手な理解をしてしまう。
渡辺 わかった気になって安心したいんですよね。今回は今までメディアがしてきたことをそのままを描きました。ただ同時に、犯罪被害者のことを自分と全く違う世界の人の話なんだと思いたがるような心理は、確実に自分の中にあるものだなと自戒を込めて思います。
――上出さんは「ハイパー ハードボイルド グルメリポート」(テレビ東京・2017年~放送)で、人食い少年兵やカルト教団信者など、さまざまな方を取材をされてきました。それを「自分の知らない世界のヤバい人たち」として隔てて理解するためにして鑑賞している視聴者もいると思います。しかし上出さんが本当に伝えようとしているのは、「この人たちは同じ人間であり、あなたと変わりません」というところにあると思っています。
上出 そうですね。メディアはあまりにそれができていなかったんですよ。「あなたと違う人たちです」ということをわかりやすく伝えてることが常識化しすぎてしまった。でも、誰もがあなたであり、あなたの隣人であるということは意識する必要があると思います。
渡辺 勧善懲悪の「水戸黄門」がずっと変わらぬ人気を誇っていたこともそうですが、わかりやすさが求められる傾向はきっと昔からあることだという気はしています。たぶん、みんな人間が非常に複雑だということを知りたくないのかもしれないですね。
上出 わからないことに対して踏ん張って耐えることは、とても体力のいることだと思っています。まずそこには知的な教養が必要なんですよね。教養の定義は難しいですが、いろんなことを学び続けて理解と知識を得ることで、不明なものも受容できるようになるのだと思います。
もし今、視聴者のわからないものへの耐性が低いのだとしたら、その教養の部分がどこかで失われているのではないでしょうか。あるいは経済的に安定しないということが理由の一端になっているということも。目の前のことで精一杯で、わからないものに対して費やせる知的な体力が身につけられない人も多いということはぼんやり思います。
安易な答えを与えるテレビは宗教に近い
――知的な体力がなければ、人はわかりやすい楽な方へと流れるわけですね。しかもテレビは受動メディアなので、やはりわかりやすさと相性がいい。
上出 元来わからないものは人々を不安に陥れてきたから、きっと宗教があるのでしょうね。一概には言えませんが、スピリチュアルなものは人がわからないものに耐えられないから生まれていて、それが今で言うとお金を生んでいるんだろうと思います。
渡辺 うんうん、そうですね。
上出 宗教でお金を稼ごうとしているのと、今テレビがやっていることは僕にとってはすごく近いと思っています。安易な答えを与えることでお金を稼いでいるという点で。一部の宗教がしているのは「なぜあなたが生きているのか」「なぜあなたが病になったのか」「なぜあなたが今不幸なのか」ということに無理やり答えを与えてあげることですから。テレビは概ね同じことやってるような気がしてます。
渡辺 たしかに。今思ったんですけど、私は生い立ちとして人間の複雑性みたいなものをずっと考えなくてはいけない境遇にあったんですね。そこで多少鍛えられたので、人間に対するわからなさはある程度受け入れられるんです。ただ、こと経済であるとか自然の危機であるとか、その問題の大きさであるとか、そういう複雑さにはたぶん耐えられないんですよ。なので、それらに関してははっきり言ってもらえると安心するというところがあるなと思いました。
上出 なるほど、ジャンルによって。
渡辺 ジャンルによって、自分の不得意なところには、わかりやすい答えをつい求めています。たとえば、「今ここにある危機とぼくの好感度について」(NHK・2021年放送)というドラマで書いた神崎真 (松坂桃李) という役は、物事を単純に考えたいキャラクター。自分はくたびれてるし、難しいことが嫌いなので、なるべく世界は単純であり簡単であってほしいと願っている。あれはまさに自分自身の希望というか、願いでもあるなと思いながら書いたんですよね。ただやはり世界で簡単なものなんて何もひとつなくて、複雑さを複雑であるということのままに受け入れられていくというのが、成熟していくということなんだろうなとわかってはいるのですが。
2022.12.20(火)
文=綿貫大介
写真=佐藤 亘