検査結果はすぐに出ました。異常なし。

 あれ? 私の目は? 

「MRIに写らないものがあるかもしれないので、とりあえず外来でまた来てください」

 先生にそう言われてタクシーで自宅に戻り、義母に帰ってもらったのが夜の9時頃。まもなく旦那から「無事にアメリカに着いたよ」という電話がありました。

 病院に行ったことを私が黙っていたので、子どもたちからは「どうして目が見えないってお父さんに言わないの?」と聞かれましたが、こう答えました。

「アメリカは遠いし、心配をかけるだけだからね」

 こうして私の長い一日が終わりました。

 

薬を飲みたくない

 その後、大学病院には2、3回通いましたが、お医者さまが言うことはいつも同じです。寄り目は時間が経てば自然と治ります。眼帯をつけるなら右、左と交互につけること。血圧を下げる薬を飲んでください。

 でも、当時の私は、どうしても降圧剤を飲みたくなかった。かたくなに拒んでいたんです。

 そんな私に、「薬を飲みなさい」「血圧を下げないとだめよ」と何度も助言してくれる人がいました。和裁教室で知り合った加藤光子さん(仮名)です。

 加藤さんは私のことを、「若いのに和裁を習おうなんて、変わった子もいるものだな」と思っていたそうです。コラムニスト清水ちなみのことはまったく知らなかったのですが、ある日、新聞に入っていた「カタログハウス」のチラシで山﨑ミシンのモニターをやっていた私の写真を発見したのが運の尽きで、「これ、和裁教室の清水さんじゃない?」と気づいたそうです。それまでも一緒にお昼を食べたりしていたのですが、身元がバレてからは、仕事や家族の話もするようになりました。

 加藤さんのご主人は、当時、東京大学で教授をされていて、若い頃はスポーツライターになろうと思っていたほどのスポーツ好き。東大にはスポーツの話ができる相手がひとりもいなくて、スポーツ全般にやたらと詳しいウチの旦那と意気投合して、家族ぐるみのおつきあいになりました。

2023.03.13(月)
文=清水ちなみ