息子によれば、小学校は「ちょっと遊んで、休んで(=授業)、ちょっと遊んで」という場所。家は「遊んで、(妹におもちゃを)取られて、遊んで、取られて」という場所だそうです。

 元気な息子の貴重な遊び時間を奪ってしまい、本当に申し訳ないことをしました。

 私は、目を休めようと、パソコンやテレビは見ないようにしていたのですが、ヒマだったので、時々お絵描きをしました。なんとなくできたのが童話みたいな『カニとおじさん』というマンガ。ボーッとしていたおじさんが無人島に流れ着いてしまい、ヤシの実をカニと奪い合うというバカバカしいお話です。子どもたちから「このおじさんの絵がかわいい」とか「こっちはかわいくない」と感想を言われながら、読み聞かせをしました。

 13日間のアメリカ出張から旦那が帰ってきた時、私はへなへなと崩れ落ちそうになりました。よほど気が張っていたのでしょう。

 子どもがいないところで旦那に眼帯を外して見せると、「あらあら、これは大変だね」と落ち着いた反応。「MRIを撮ったけど、異常はなかった」「寄り目は自然に治るみたい」と私があらかじめ言っておいたので、さほどシリアスには受け取らなかったみたいです。

 

鼻血が止まらなくなり…「これはヤバい!」

 旦那が「これはヤバい!」となったのは、それから3カ月ほどが経った2008年2月。夜遅い時間に、私が突然大量の鼻血を出したのです。

 みんなが寝ている時間なので、私は騒ぎ立てたりはせず、トイレに籠もって出血が止まるのを待ちましたが、いつまで経っても止まる気配がありません。暖房のないトイレは寒く、「そうだ、ドライヤーを持ってくればいいのでは?」と閃いたのですが、鼻血が止まらず動けません。ついに貧血になった私は、大声で旦那を呼びました。

 その後は覚えていません。驚いて飛び起きた旦那は、私をトイレから布団まで必死に運んだそうです。失神状態で白目を剥き、いびきまでかいている私を見て、「もうダメかと思った」そうです。その後、なんとか意識が戻って鼻血も止まったのでそのまま寝ました。

 寄り目が通常の状態に戻るまでには、半年以上かかりました。両目で見ると四重に、片目を閉じれば二重に見えていたオリオン座も、1年後にはようやく普通に見えるようになりました。

 こうして振り返ると、身体はいろいろサインを送ってくれていたのに、私は無視し続けてきたのですね。

 そして冒頭に書いた通り、2009年11月、雷に打たれたような激しい頭痛に襲われた私は、破裂脳動脈瘤によるくも膜下出血と診断されたのです。

話せる言葉は「お母さん」と「わかんない」の2語のみ…脳梗塞で左脳の1/4が壊れた妻と夫の“会話記録” へ続く

2023.03.13(月)
文=清水ちなみ